2019年11月26日

自分を生きるレッスンその590 成長する

 11月23日の学会は、大盛況でした。今回は、日本近代文学会、昭和文学会、日本社会文学会の3学会が合同で開催するというもの。延べ600名の方が参加されたそう。

 午後2時から明治大学で、平野啓一郎さんの基調講演「文学は何の役に立つのか」。90分を飽きさせないで、立て板に水のごとく、流暢にお話されます。殺伐とした現代において「文学は、正気を保つために必要だ」とまず、がつーんとパンチをお見舞い。

 かつては、書くことは得意だけど、人前で話すことはどうも、という作家さんも多かったと思うのですが、平野さん世代になると、ルックスはいいわ、話も上手だわ、時間はきっちり守るわ、聴衆がどんなジャンルの人たちなのか、きちんと計算されて、まるで小説を読むかのごとき講演会。

 聴衆の皆様も、大学の先生とか大学院生とか、日本の知を担っている意識の高い方々ばかりですから、本の紹介も「あ、君もこれ読んでるんだね、なかなかやるね」級のレベルをあちこちに配備。

 わたしにとっては、「ベスト・ネットワーク」「アートワールドの自立性」といった言葉が印象に残りました。そして、平野さんは、自分の感受性を信じて疑わないんだな、とそのゆるぎない姿勢、媚びない姿勢に感銘を受けました。

 作家と研究者という違いはあっても、同じ文学というジャンルに携わる者同士で、現代の閉塞状況を打開していく手立てを考える。その糸口をお互いに探っている、という感じでしょうか。洗脳されるくらいの怪物講演者がそこにおいでではなくて、ちょっと下の世代の中堅の表現者の発言を聴くことで、自分の考えをまとめていく。

 これまではおそらく各個人の能力の差が大きかったのでしょうが、今の時代は、100人ほどが横並びで走っている状態。いえいえ、もしかしたら各ジャンルで一万人規模くらいかも。だからこそ、力を合わせて、その横並びの群れの共通認識を確認し、それぞれの個性を活かしあいながら、共同作業をする。そんな時代なんだなあ、と思いながら聴いていました。

 わたしがこの学会で得たものは、文学というジャンルにこだわることなく、広範囲に手を広げていいし、自分の得意とするところで勝負し、じゃんじゃんコラボしていく方向性がいいんだな、ということ。それはわたしがこれまでやってきたこと、自分の専門の近代文学にこだわらず、古典文学をやったり、世界文学をやったり、音楽や美術とコラボしたり、という方向性は、時代にリンクさせたつもりでもなかったのに、しっかりと時代の波に乗っかってる。その確信が持てました。この時代を20年くらい早く走ってきたんだなあ、という感慨に耽っています。

 あと30年、こうしてあちこちに出没しながら、世の中の動向をキャッチし、引退することなく、わたしにできることを精一杯やっていこう。そんな元気を頂きました。

 さて、学会2日目は、個別研究の発表がたくさんありましたし、午後のシンポジウムもかなり今日壬生菜かかったのですが、三女と朝食を一緒に食べるべく、池袋で待ち合わせをして、美味しいコーヒーのお店を見つけて、しばしおしゃべり。長女一家もだいぶ良くなって安心して次の行動へ。新幹線で京都に向かいます。

 京都国立博物館の「佐竹本三十六歌仙絵巻」展を鑑賞。最終日に間に合いました。秋田藩の藩主・佐竹家が所持している「三十六歌仙絵巻」が一堂に揃っての展示(全部は揃わなかったらしいですが)。佐竹本だけではなく、それに関連する展示もあって、見ごたえ十分。

 長い絵巻だったのが、ひとつひとつ歌人ごとに切断されて、軸装を施してあります。佐竹本の展示に入ったとき、紀貫之だったか、源重之だったか、その額装を観たとき、涙が溢れてきました。ああ、なんて美しいんだろう。額装が美しいのです。薄い緑色と薄いブルーがとても印象的で、その色に圧倒されたのかもしれません。

 絵も額装もひとつとして同じものはなく、たしか公任のものは背中が描いてあったような。なんだか頭が真っ白になって、ぼわーっとした状態で眺めたので、あとで図録を買って、しっかりと復讐しよう、と思ったのですが、なんと図録が売り切れて、郵送注文。十二月末にしか届かないけど、ま、いいか。

 最終日だから、二時間待ちくらいを予想していたのですが、待ち時間ゼロで入れて、スムースに流れていきます。前の人がじっくり観ておられて、流れが遅かったのですが、それもまた芸術を愛する人がこんなにたくさんおいでなんだなあ、と感慨深いものがありました。

 前日からの濃い時間に疲れ果て、早めに次女のマンションへ。そして、ゆっくりと過ごせると思いきや、るい君ゲーム機取り上げ事件、れなたん嘔吐事件、と続きます。

 れなたんが保育園で嘔吐したという知らせで、買い物中のきみこばあばに呼び出しがかかり、行ってみると、ぐったりのれなたん。タクシーに乗せて帰ります。熱発の予感あり。はちみつレモンを作って飲ませると、よく飲んでくれます。お水もたっぷりと飲ませて、おしっこもいっぱい出て、何とか高熱に至らずに、元気です。

 夕方、大根と牛スジを煮込んでいると(るい君が牛スジ大好きなので)、「食べたい」とれなたん。よく煮えた大根を食べさて上げたら「めちゃめちゃ美味しい」と大絶賛。嘔吐は食べすぎじゃないか、というくらいに、朝食をよく食べ、給食もお替わりしたそうで、食欲旺盛なれなたん。

 結局、一緒に煮込んだ卵も食べて、おかゆも食べて、さらに果物をいっぱい食べて、いつも通りの食欲。お風呂にもママと入りました。でも、今日は大事をとって、おばあちゃんとゆっくり過ごします。

 わたしがこうしてブログを書いたり、昨夜、夜中に仕上げた「月の舟通信」の巻頭言を書き直したり、仕事をしている横で、お人形遊びをしています。静かに、ゴロゴロしながら。

 わたしは、朝食を作り、娘のお弁当を作り、洗濯をし、食器のあとかたづけをしてから、お香を焚いて、IPADで辻井さんのピアノ画像をかけて、パソコンに向かって仕事します。

 このスタイルは、娘たちが小さいときにやっていたこと。孫育てでまた繰り返しているってことは、このスタイルが性に合っているのかな。子育ても仕事も、と欲張って生きてきましたけど、それでいいんだな。

 20世紀は、役割分担意識が強くて、男性が外で働き、女性が家事・育児をするというスタイルが主流でした。でも、いまはひとりの人間が、仕事も家事も育児も、という時代。役割分担の方が効率的ではありますが、個人の能力を活かしきれない、という難点があります。人間が全人的に自立できない、という欠点もあります。

 わたしは、仕事も家事も育児も全人的にしっかりやることが、本当に大事だと思っています。そのための時間配分というのも大事になってくるでしょう。仕事ばかりだと、家事・育児の時間が取れませんからね。家庭に午後6時には帰ってくるスタイルが、とにかく確立されたらいいですね。

 孫育てにでしゃばって参加していると、子どもを育てるとは、なんて人を成長させるのだろうか、と感動します。道をはずれそうになったときに、必死で「こっちだよ」と声をかける。子どもはともかく暴走しますからね。毎日、暴走族とつきあっているようなものです。規則正しい生活をする。愛を降り注ぐとは、甘やかすことではないですね。大切なことを繰り返し子育ては教えてくれます。

 まずは大人が自立していること。しっかりと稼ぎ、この子を育てるんだ、しっかりと自立させるんだ、という意識を持つこと。両親が協力すること。

 れなたんは、ひとり静かに遊んでいます。ときどき外を眺めたりして。そんなときは、声をかけずに、静かに見守ります。子どもは「見守られている」と思うとき、とっても落ち着くようです。

 さ、明日は鹿児島に帰ります。その足で、山崎文乃さんのピアノリサイタルへ。「月の舟通信」の発送を終わらせて、いくつかの打ち合わせをすませて、いよいよ12月1日は上棟式。その準備もしっかりしないと。お弁当の手配。お餅、小銭。そうそう、わたしは施主なので屋根に登りますから、ちょっとは痩せておくかな(笑)。

 今夜は、蕪のクリームシチューにしましょうかね。れなたんが外に出られそうだったら、一緒にお買い物に行けるかな。

 皆様も、素敵な時間をお過ごしください。明日は新月ですよ。新しいスタートです。
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2019年11月23日

自分を生きるレッスンその589 奉仕する

 昨日から東京。午前6時半に家を出て、11時半に親友のローリーさんと待ち合わせ。早稲田のフレンチレストランでランチをしました。約2時間、しゃべり続けました。本当は、別の方とのランチの約束だったのですが、ご都合が悪くなり、キャンセルで、24日に約束しつつも、なかなか待ち合わせの場所が決まらなかったローリーさんと、これまた急に会うことになりました。

 今回の東京行きは、いろいろと迷うことが多くて、スケジュールがスパッと決まらなかったのですが、最後の最後で、あらら、というくらいにすんなりと予定が決まりました。

 不思議ですね。すべてはうまくいっている。何も心配することはない。あまり、いじりすぎると、かえって混乱するというもの。ときには、運命の流れに沿って、ゆらゆらとしていたら、良い方向に行くものですね。本当に不思議です。

 ローリーさんの優しさには本当に、いつも胸打たれます。まず、彼女の口から愚痴というものを聴いたことがない。悪口も聴いたことがない。悩み相談というのも皆無。いつも静かに新鮮な情熱をもって、毎日を暮らしている。そんな感じです。静かに新しい挑戦をしている。

 わたしの娘たちとも仲良しなので、いつも気にかけてくれます。ローリーさん曰く、あなたの娘たちは、きみこという母親をもってラッキーウーマンだわ。

 いつもそんな風にして、優しく褒めてくれます。素晴らしいな。素敵なお友達をもって、ありがたいなあ。来年の「きりしま月の舟」のトークもお願いしたら、快く引き受けてくれました。

 ローリーさんと別れて、雨の早稲田を高田馬場まで出て、長女のところに向かいます。お婿さんのお母様もいらしていて、しばらく歓談。このお母様がまた、素晴らしい。風邪をひいた孫と嫁のために、いっぱい栄養のある食べ物を用意してくださっています。感動します。いつもそうなんですよね。ありがたいなあ。長女は幸せ者ですね。わたしが到着したところで、お母様と交代。

 で、この長女一家、風邪で全滅ですわ。お婿さんだけが何とか仕事に出かけている。東京は人が多いので、咳き込む人も多くて、わたしはそんな危険ゾーンを避けて歩いていたのですが、もはや逃れられません。何しろ、孫たち、発熱ですから。おでこをさわると、熱い。

 で、覚悟を決めて、よーーーし、きみちゃんおばあちゃんが風邪を退散したるでーーーーー。とばかりに、孫たちに接近し、ソファの真ん中に座って、左にショウリ君、右に奏斗君を抱いて、それぞれの足を揉んであげます。すると、歓んで、とろけんばかりのお顔になります。手足が冷えていますからね。血行をよくしてあげて、いっぱいお水を飲ませて、おしっこを出させてあげる。その繰り返し。

 その間に、娘はマッサージに出かけて、気分爽快になった模様。お婿さんのお母様が作り置きしてくださったお鍋にうどんとお豆腐を入れて、孫たちに食べさせます。少しですが、食べてくれました。

 手足を拭いてあげて、歯磨きをして、寝かしつけます。そこでも、わたしのおなかにふたりとも足をのせて、「揉んで」コール。おお、いいよ。そのうちに、ショウリ君、爆睡。奏斗君もマッサージから帰ってきたママと一緒に爆睡。

 人が喜ぶ、というのは、本当に嬉しいものです。わたしが愛読するメルマガで孫正人先生のコラムが大好きなのですが、そこで語られるのは「人類に奉仕する」姿勢。人類のために、どうぞわたしのこの身体をお使いください、という気持ちで、仕事や家事をする。

 なんて素敵な考え方でしょうか。他人に勝つとか、損をしないとか、そんな感情ではなく、「奉仕する」という姿勢はいいですね。わたしの文学講座も「奉仕」だと思います。豊かな気持ちになる。人間の普遍的な真理を知る。これからも、その路線を強化します。

11月18日から、「きりしま月の舟」の大工工事が本格的に始まり、水道屋さん、防蟻屋さん、足場を組む方など、たくさんの方が「きりしま月の舟」のためにお仕事をしてくださいます。

 わたしもユタカ君も、大工さんたちのために、お茶の準備をします。完全オフの19日は、お豆腐白玉団子を作ってみました。少し生クリームを入れてみたりして、自分なりのアレンジを加えたら、美味しいのなんの。「きょうの料理」11月号に出ていたレシピを応用しただけなのですが、我ながら、良い出来。大工さんたちもとても美味しいとたくさん食べてくださいました。

 お昼ごはんも、わたしがいるときだけ、という前提で、どうせユタカ君とわたしのふたり分を作るのだから、大工さんふたりと合わせて4人分は大したことない、と作りました。水曜日、金曜日はわたしたち夫婦のほかに「万葉集」の受講生の方とか合唱クラスの又吉先生&麗華先生にお弁当を作っていきます。特に大したものはないのですが、そのときのありあわせで作ると、皆様、とても美味しいと言ってくださるので、ついつい調子に乗るわたしたちです。

 19日のお昼ごはんのメニューは、桜エビときのこの炊き込みご飯、おぼろ豆腐、お味噌汁、ユタカ君のひとくちカツ。キャベツと人参のサラダ。アシスタント大工さんの桑原さんは、炊き込みご飯を3杯、お替わりしてくれました。若い人ががっつりと食べてくださるのは、嬉しいですね。

 18日も、伊作へ百人一首の講義に出かけたのですが、そこに同行してくださった若いN子先生も、わたしが「なんでも食べて、今日のお礼に奢りますよ」と言ったら、「がっつりと食べたい」とおっしゃって、もりもりと食べて、元気よくおしゃべりをして、こちらまで元気が出ました。

 これだから、若い人って大好き。わたしのお孫ちゃんたちもわたしの料理をよく食べてくれます。うちのユタカ君も美味しいといつも言ってくれますし、最近の彼は、かなりのお料理上手になっていますので、わたしも彼の美味しいものをしっかりといただきます。

 こうして、建設現場から愛の交歓をたっぷりとかわし、「きりしま月の舟」を癒しの場にしよう。

 さあて、今日は午後から学会に参加。今回は3学会合同国際研究集会ということで、大々的に開催されます。とても楽しみです。基調講演が、あの人気作家さんですしね。

 わたしは、大学に勤務はしなかったし、フリーで仕事をしてきて、いわゆる研究職に括られないのですが、学会にはよく参加し、また勉強を怠らないようにしています。20年以上、非常勤講師を勤める短大でも、毎年同じ講義にはしない、中身を毎年バージョンアップしてきましたしね。

 先日も、ある大家の先生に「あの方は、研究職でもないのに、よく勉強しておいでですね」というわたしへの褒め言葉を伝え聞いて、とても嬉しくなりました。古典の分野でも、ジャンルにこだわらず、与えられた仕事や自分で企画した仕事に全力で取り組んできた、という自信はあります。

 もちろん、まだまだ未熟で、勉強するべき分野は山ほどあるのですが、ほんとよく頑張って、世の中に奉仕していると自分でも思う。勉強でも孫のお世話でも、料理でもなんでも。それが苦でもなんでもないし。奉仕している、という仰々しい気持ちでもなく、ただただ楽しいからやっているだけですけどね。

 わたしたちはよく自分の才能の発露を環境のせいにしていきますが、自分の本質を見極める、というのがどれだけ大切か、最近、深く納得させられています。自分で自分の才能を発見し、それを伸ばしていかないといけない。自分を見つめることが、どれだけ大切か。

 わたしは、おそらく勘がいい。作品を読むときも、人とは違う面白い読みができる。常識にとらわれない読み。そこにわたしの才能というか個性があるのだと思う。そして、たゆみなく努力することも得意。

 だから、いまこうして、文学の分野で勉強を続けることが性に合っている。ありがたいなあ、と思います。さらに、ユタカ君という伴侶を得て、いつも文学の話ができるというしあわせ。娘たちがそれぞれきちんと自立し、それぞれの分野で努力し、孫にも恵まれて、これまた最高のしあわせ。健康であるのも、最高のしあわせ。

 すべてに感謝します。これからも「奉仕する」気持ちで、楽しく、わくわくしながら、人生を歩んでいきます。

 わが孫たちも、だいぶ元気になった朝、おやつのドーナツをもりもり食べましたよ。
 皆様も、素敵な秋の週末をお過ごしくださいね。
posted by kimiko at 09:59| Comment(0) | 日記

2019年11月17日

自分を生きるレッスンその588 心から感謝する

 霧島の紅葉は、今週末からが見頃かな。在原業平風に「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くくるとは」というくらいにビビッドな赤を連想するまでには至っていませんね。「まだら」な紅葉です。

 これからが楽しみです。先日の満月も味わい深かったなあ。ちょっと曇りの夜で、灰色の雲がかかった満月のしみじみとした風情。ああ、日本に住んでよかったなあ、と感慨深い。以前住んでいた妙円寺団地でも同じ月があがるわけですが、団地だと灯りがいっぱいあるし、ゆったりとお月見という雰囲気にはならなかったかもしれません。霧島だと街灯がほとんどないので、夜遅く霧島に帰り着いたときに、車のドアを開け、ふっと空を見上げるだけで、月が煌々と輝いているのがわかります。星も降るようにいっぱい光を注いでくれます。

 霧島に住んでよかった。そして、仕事場をも霧島に移転して、本当に良かった。きりしま月の舟の基礎工事がとても美しく仕上がり、明日からは本格的な大工工事が始まります。基礎工事の坂口さんの美しいお仕事ぶり。感謝です。わたしがちょうど京都にいる間に基礎工事が進んでいったので、現場をご一緒することは少なかったのですが、わたしがいる日には、できるだけ手作りのお菓子を準備しました。

 これまでお菓子作りは苦手意識があったのですが、作ってみると、意外と簡単。ホットケーキミックスを使えば、さらに簡単。朝ご飯と一緒にちゃちゃっといけますわ。ただ、どんな料理でもそうですけど、深い味わいになるまでには、時間がかかりますね。わたしもようやく料理も仕事も人生も深みを増して、いま色づきはじめています。

 昨日は、鹿児島女子短期大学主催の向田邦子プロジェクトの第3回目で「向田邦子の愛したレシピ」の料理教室でした。わたしとユタカ君が第1回と第2回を担当させていただき、料理教室は、このプロジェクトの発起人である千葉しのぶ先生担当。さすがのレシピでございます。薩摩揚げも工夫がなされて、きびなご入り。

 わたしは小さいときから料理の得意な母のもとで、薩摩揚げもよく作りました。アジやイワシ、豆腐、卵、地酒をすり鉢でするのは子どもであるわたしたちの役目。いつも美味しいアツアツの手作りつけ揚げを食べていましたよ。だから、とっても懐かしかった。

 向田さんのレシピは素晴らしいものが多いのですが、今回、「のり吸い」の美味しさに目覚めました。以前、月の舟@天文館で長友ゆかり先生のご指導のもと、向田邦子の料理をやったことがありましたが、あのときも大盛況でしたね。長友先生の素晴らしいセンスが光りました。

 霧島に引っ越してからというもの、霧島の食に癒され続けていますが、最近、ようやく霧島食育研究会の料理教室に参加することができました。先日11日は、芋こんにゃくを作りましたよ。これまた簡単で味わい深いメニューです。霧島に住まないとゲットできないレシピです。

 千葉しのぶ先生のレシピは、郷土料理にひとひねり工夫が凝らされ、もちろんそれは原型を損ねるものではなく、個性がプラスされる、実に味わい深い料理です。昨日の向田レシピでは、先生はエプロンを向田邦子バージョンにされて、そのセンスも大好きでした。凝り性の人って好き。

 やはり、わたしの料理好きは、母伝来のもので、母には感謝です。先日、ちょっと怒ってしまいましたけど、よく考えたら、たった月に2回しか実家に行かないというのに、何が親孝行だ、と反省しました。母が90歳なのによく頑張ってくれているから、わたしもせいぜい月2回で親孝行をした気分になれるというもの。

 それで、13日の午前中は、お弁当をもって母のところに寄りました。いつも月の舟合唱クラスの又吉先生と麗華先生のお昼ごはんは、わたしとユタカ君が作るのですが、母にもお弁当にして届けました。そうしたら、とっても歓んでくれて、何だかこちらもほっこり。頼まれていた岩ノリと京都のお土産のシバ漬けも持参して、バタバタでしたが、大回りしてよかったなあ。何しろ、霧島から伊集院までは片道一時間半、それから12時に終わる月の舟合唱クラスに滑り込んで、午後1時からピアノレッスン、それから着付け教室、と続いて、帰り着いたころには、眠くて眠くて。

 世の中には介護に明け暮れている方も多いというのに、わたしの場合は介護に時間を割くこともなく、こうしてたまに母のところを訪ねるくらいで良しとされるわけですから、本当にありがたいことです。これからは孫育ても母のことももっとしっかりお世話しようと思います。エネルギーがいりますけど、これはわたしの仕事ですからね。

 心から感謝する。これが豊かさの原点である、と本田健さんの本に教えてもらって、それから心持ちが変わった気がします。

 無償の愛は、簡単そうで、難しいなあ。やはり、見返りを求めますものね。でも、いいんじゃないかな。見返りを求めても。感謝と許しは、同じエネルギーとも言えますし。

 自分の息子、娘のような気持ちで接する又吉&麗華先生たちは、先日ユタカ君の誕生日に、琉球泡盛をプレゼントしてくれました。とっても美味しくて、晩酌を大事にするわたしたち夫婦は、毎晩、ほんのおちょこ一杯だけいただきます。アルコール度数が高いので、ストレートで飲むと、ビール10杯分くらいのパンチがあるのですが、とてもとても美味しいです。感謝ですねえ。こういうときは、感謝して受け取る。感動して、受け取る。

 娘たちも優しくしてくれます。「ママ、ありがとう」って言ってくれます。先日の京都12泊は、次女が「本当に助かった」と言ってくれて、嬉しかったなあ。先日は、美味しそうな安納芋があったので、ひと箱長女のところに送りました。孫たちがお芋大好きですからね。これも歓んでくれました。3女のところにも今度泊めてもらいます。高級ホテル泊をプレゼントしてくれましたしね。

 会員さんたちも優しくしてくださいます。昨日のアガサ・クリステイ読書会もめっちゃ盛り上がりました。楽しかったなあ。こんな時間が大好き。皆さま、勤勉で誠実で優しい。ただ講義を聴くだけではなく、こうした読書会っていいなあ、と思います。ユタカ君がしっかりとリードしてくれるので、それがまた読書会の質を高めています。

 さて、先日、三田村雅子先生にお会いして、いろいろと刺激を受けましたが、やはり、読みの深さ、というものに感動します。言葉の表面だけをなぞるのではなく、2層も3層も深いところまで降りていく。それが自然にできる人を天才と呼ぶわけです。三田村先生は天才なんだなあ、と思います。たぶん、10層目くらいまで降りて行かれる感じ。

 わたしもどちらかというと、2層目、3層目までは行ける(笑)。いや、冗談でなく、そう読める、見える、というときがいっぱいありますからね。後藤祥子先生に「あなたのレポート面白かったわ」と言っていただくことがあったし、日本女子大学のほかの先生からも記述が面白いと褒めていただいたことが度々ありました。

 これまで自分のことを「天才じゃないか」と思ったことなどなかったし、ただただ生きることに必死でしたから、めちゃくちゃにがくしゃらに生きてきた感じがありますけど、「きりしま月の舟」を開設するにあたって、わたしの才能というものに気づかされるこの頃(笑)。

 もちろん、ユタカ君、親兄弟のサポート、周囲の力は絶大で、わたしひとりの力ではないのですが、何だか、ものごとを深く見る眼、というのを持ち合わせているなあ、と自画自賛しているところです。60歳を過ぎて、自分に自信が持てた、ということなのでしょう。遅いなあ。でもいいさ。これからです、わたしの人生。

 思えば、良妻賢母の鑑である母が、わたしを良妻賢母として育てようとしたのは当然のことで、その良妻賢母の道ではなく、文学の道を歩んで、結構、世の中の正規ルートから外れてきたわが人生。

 60歳にして、自分の仕事上の能力と、良妻賢母的な道が合体して、文学と家事が両立できているんだなあ、と思います。20代からついこの間までは、本当に変人扱いで、自分に自信が持てなかったのですが、バランスが取れてきた感じです。

 やはり「心から感謝する」という思いが、バランスを呼び寄せている。変人扱いする人を攻撃している間は、バランスが取れません。ただ感謝する、だけでもいいと思うのですが、心の底から感謝する、という気持ちになることがミソですね。

 ということで、バランスの取れた人生は、これから。あと30年がんばります。来年3月20日オープンに向けて、いろんな先生方が気持ちよくご協力くださって、感謝感激。さあ、ばりばり行きますよ。わたしの才能が開花します。どこでどんなイベントを組むか、どんどんアイデアが湧いてきますしね。

 明日から、本格的な大工工事。わたしは伊作まで百人一首の講義。大工さんたちのおやつに、パンプキンケーキを作ってから出かけます。

 今朝も、キリシマストリートベーカリーのパンを買って、はちみつトースト、北海道展で買ったソーセージ、野菜炒めの朝食で、元気もりもり。明日の準備、そして、お掃除、洗濯、張り切っていきましょう。

 皆様も素敵な一週間をお過ごしください。
posted by kimiko at 14:00| Comment(0) | 日記