2019年11月26日

自分を生きるレッスンその590 成長する

 11月23日の学会は、大盛況でした。今回は、日本近代文学会、昭和文学会、日本社会文学会の3学会が合同で開催するというもの。延べ600名の方が参加されたそう。

 午後2時から明治大学で、平野啓一郎さんの基調講演「文学は何の役に立つのか」。90分を飽きさせないで、立て板に水のごとく、流暢にお話されます。殺伐とした現代において「文学は、正気を保つために必要だ」とまず、がつーんとパンチをお見舞い。

 かつては、書くことは得意だけど、人前で話すことはどうも、という作家さんも多かったと思うのですが、平野さん世代になると、ルックスはいいわ、話も上手だわ、時間はきっちり守るわ、聴衆がどんなジャンルの人たちなのか、きちんと計算されて、まるで小説を読むかのごとき講演会。

 聴衆の皆様も、大学の先生とか大学院生とか、日本の知を担っている意識の高い方々ばかりですから、本の紹介も「あ、君もこれ読んでるんだね、なかなかやるね」級のレベルをあちこちに配備。

 わたしにとっては、「ベスト・ネットワーク」「アートワールドの自立性」といった言葉が印象に残りました。そして、平野さんは、自分の感受性を信じて疑わないんだな、とそのゆるぎない姿勢、媚びない姿勢に感銘を受けました。

 作家と研究者という違いはあっても、同じ文学というジャンルに携わる者同士で、現代の閉塞状況を打開していく手立てを考える。その糸口をお互いに探っている、という感じでしょうか。洗脳されるくらいの怪物講演者がそこにおいでではなくて、ちょっと下の世代の中堅の表現者の発言を聴くことで、自分の考えをまとめていく。

 これまではおそらく各個人の能力の差が大きかったのでしょうが、今の時代は、100人ほどが横並びで走っている状態。いえいえ、もしかしたら各ジャンルで一万人規模くらいかも。だからこそ、力を合わせて、その横並びの群れの共通認識を確認し、それぞれの個性を活かしあいながら、共同作業をする。そんな時代なんだなあ、と思いながら聴いていました。

 わたしがこの学会で得たものは、文学というジャンルにこだわることなく、広範囲に手を広げていいし、自分の得意とするところで勝負し、じゃんじゃんコラボしていく方向性がいいんだな、ということ。それはわたしがこれまでやってきたこと、自分の専門の近代文学にこだわらず、古典文学をやったり、世界文学をやったり、音楽や美術とコラボしたり、という方向性は、時代にリンクさせたつもりでもなかったのに、しっかりと時代の波に乗っかってる。その確信が持てました。この時代を20年くらい早く走ってきたんだなあ、という感慨に耽っています。

 あと30年、こうしてあちこちに出没しながら、世の中の動向をキャッチし、引退することなく、わたしにできることを精一杯やっていこう。そんな元気を頂きました。

 さて、学会2日目は、個別研究の発表がたくさんありましたし、午後のシンポジウムもかなり今日壬生菜かかったのですが、三女と朝食を一緒に食べるべく、池袋で待ち合わせをして、美味しいコーヒーのお店を見つけて、しばしおしゃべり。長女一家もだいぶ良くなって安心して次の行動へ。新幹線で京都に向かいます。

 京都国立博物館の「佐竹本三十六歌仙絵巻」展を鑑賞。最終日に間に合いました。秋田藩の藩主・佐竹家が所持している「三十六歌仙絵巻」が一堂に揃っての展示(全部は揃わなかったらしいですが)。佐竹本だけではなく、それに関連する展示もあって、見ごたえ十分。

 長い絵巻だったのが、ひとつひとつ歌人ごとに切断されて、軸装を施してあります。佐竹本の展示に入ったとき、紀貫之だったか、源重之だったか、その額装を観たとき、涙が溢れてきました。ああ、なんて美しいんだろう。額装が美しいのです。薄い緑色と薄いブルーがとても印象的で、その色に圧倒されたのかもしれません。

 絵も額装もひとつとして同じものはなく、たしか公任のものは背中が描いてあったような。なんだか頭が真っ白になって、ぼわーっとした状態で眺めたので、あとで図録を買って、しっかりと復讐しよう、と思ったのですが、なんと図録が売り切れて、郵送注文。十二月末にしか届かないけど、ま、いいか。

 最終日だから、二時間待ちくらいを予想していたのですが、待ち時間ゼロで入れて、スムースに流れていきます。前の人がじっくり観ておられて、流れが遅かったのですが、それもまた芸術を愛する人がこんなにたくさんおいでなんだなあ、と感慨深いものがありました。

 前日からの濃い時間に疲れ果て、早めに次女のマンションへ。そして、ゆっくりと過ごせると思いきや、るい君ゲーム機取り上げ事件、れなたん嘔吐事件、と続きます。

 れなたんが保育園で嘔吐したという知らせで、買い物中のきみこばあばに呼び出しがかかり、行ってみると、ぐったりのれなたん。タクシーに乗せて帰ります。熱発の予感あり。はちみつレモンを作って飲ませると、よく飲んでくれます。お水もたっぷりと飲ませて、おしっこもいっぱい出て、何とか高熱に至らずに、元気です。

 夕方、大根と牛スジを煮込んでいると(るい君が牛スジ大好きなので)、「食べたい」とれなたん。よく煮えた大根を食べさて上げたら「めちゃめちゃ美味しい」と大絶賛。嘔吐は食べすぎじゃないか、というくらいに、朝食をよく食べ、給食もお替わりしたそうで、食欲旺盛なれなたん。

 結局、一緒に煮込んだ卵も食べて、おかゆも食べて、さらに果物をいっぱい食べて、いつも通りの食欲。お風呂にもママと入りました。でも、今日は大事をとって、おばあちゃんとゆっくり過ごします。

 わたしがこうしてブログを書いたり、昨夜、夜中に仕上げた「月の舟通信」の巻頭言を書き直したり、仕事をしている横で、お人形遊びをしています。静かに、ゴロゴロしながら。

 わたしは、朝食を作り、娘のお弁当を作り、洗濯をし、食器のあとかたづけをしてから、お香を焚いて、IPADで辻井さんのピアノ画像をかけて、パソコンに向かって仕事します。

 このスタイルは、娘たちが小さいときにやっていたこと。孫育てでまた繰り返しているってことは、このスタイルが性に合っているのかな。子育ても仕事も、と欲張って生きてきましたけど、それでいいんだな。

 20世紀は、役割分担意識が強くて、男性が外で働き、女性が家事・育児をするというスタイルが主流でした。でも、いまはひとりの人間が、仕事も家事も育児も、という時代。役割分担の方が効率的ではありますが、個人の能力を活かしきれない、という難点があります。人間が全人的に自立できない、という欠点もあります。

 わたしは、仕事も家事も育児も全人的にしっかりやることが、本当に大事だと思っています。そのための時間配分というのも大事になってくるでしょう。仕事ばかりだと、家事・育児の時間が取れませんからね。家庭に午後6時には帰ってくるスタイルが、とにかく確立されたらいいですね。

 孫育てにでしゃばって参加していると、子どもを育てるとは、なんて人を成長させるのだろうか、と感動します。道をはずれそうになったときに、必死で「こっちだよ」と声をかける。子どもはともかく暴走しますからね。毎日、暴走族とつきあっているようなものです。規則正しい生活をする。愛を降り注ぐとは、甘やかすことではないですね。大切なことを繰り返し子育ては教えてくれます。

 まずは大人が自立していること。しっかりと稼ぎ、この子を育てるんだ、しっかりと自立させるんだ、という意識を持つこと。両親が協力すること。

 れなたんは、ひとり静かに遊んでいます。ときどき外を眺めたりして。そんなときは、声をかけずに、静かに見守ります。子どもは「見守られている」と思うとき、とっても落ち着くようです。

 さ、明日は鹿児島に帰ります。その足で、山崎文乃さんのピアノリサイタルへ。「月の舟通信」の発送を終わらせて、いくつかの打ち合わせをすませて、いよいよ12月1日は上棟式。その準備もしっかりしないと。お弁当の手配。お餅、小銭。そうそう、わたしは施主なので屋根に登りますから、ちょっとは痩せておくかな(笑)。

 今夜は、蕪のクリームシチューにしましょうかね。れなたんが外に出られそうだったら、一緒にお買い物に行けるかな。

 皆様も、素敵な時間をお過ごしください。明日は新月ですよ。新しいスタートです。
posted by kimiko at 11:13| Comment(0) | 日記
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