2019年12月31日

自分を生きるレッスンその599 ひかりのごはん

 京都の孫たちが帰ってきました。

 「お帰り」というか、「よく来てくれたね」というか迷いました。ふるさとに帰る、ということなんだから、「お帰り」でいいのでしょうが、彼らの拠点は京都ですしね。娘より孫の方が、鹿児島に滞在する日数はずっと多いし、今年の春も、るい君とれなちゃんのふたりで過ごしたし、12月の半ばにもわたしが京都に行ったので、2週間ぶりなんですけどね。

 京都で会うのと、鹿児島で会うのとは違うね。でも、すぐに慣れて、いつもの通り。温泉行きたーーい。おばあちゃん、このごはん、美味しい。鶏ガラスープが女性陣に人気。黒豚の味噌漬けも素晴らしいお味。鶏肉とカブのナンプラーレモン炒めも好評、ちょうど食事をしようとした時間に、ご近所の農業青年・裕太君のお野菜が届いて、箱一杯のクレソンの一部をすぐに洗って、そのまま出しました。裕太君のお父様の芋餅もまだあったかいまま。ありがたいねえ。賑やかな食卓がさらに盛り上がりました。ありがとう、裕太君。

 食事をして、お風呂に入って、るい君はわたしの机で勉強を始めます。れなちゃんもお兄ちゃんを真似て、字のおけいこ。4歳なのに、もう自分の名前も書けますよ。ピアノも大好きだから、おばあちゃんと一緒に弾きました。ああ、鹿児島にいたら、ピアノとバレエを習わせて、ばあばがいつもついてあげるのになあ。いい先生もいっぱいいるしね。

 るい君はおじいちゃんとお勉強。おじいちゃんと一緒にお風呂に入りました。そして、おじいちゃんと一緒に寝ました。男の子に必要な男の匂いがするのでしょうね。ユタカ君も張り切っています。

 娘は、強度のアレルギー体質なので、ちょっとした埃に反応します。「おなか空いた」と言って、たっぷり食べて、お茶の時間になる頃から、鼻炎がひどくなって、くしゃみの連続。ユタカ君とふたり、テレビの後ろからタンスの上から全部埃を掃除したつもりですが、どうも布団が怪しい。古い布団のダニ、カビではないか。娘たちが使っていた布団なんですけどね。捨てられなくて、そのままとっておいたのですが、新しいものに替える必要があります。

 ということで、わたしたちの寝室のダブルベッドを娘とれなちゃんに提供し、るい君とユタカ君とわたしが布団で寝ることにしました。

 いま、みんな寝入って、わたしひとり、静寂の時間。子育ての30年間、子どもを寝かしつけてから、ひとり勉強の時間を持ったものでした。長女と三女はよく寝る子でしたけど、次女は、わたしが寝かしつけて身体を離すとすぐ目が覚める子で、しょうがないので、一緒に起きて、一緒に勉強しておりましたわ。泣きながら廊下をハイハイしてきたことも多かったな。アレルギーも人一倍強くて、卵だめ、お蕎麦だめ、抗生物質だめ、添加物にも反応し、身体にぶつぶつがすぐできるのです。

 まるで地球の有害物質センサーみたいです。でも、それでいいんだな。まだまだ霧島の我が家は、ダニ・カビがある、ということです。もっと浄化しないといけません。綺麗にしてみせます。

 今日はお正月の買い物をして、美容院に行って、それから空港へ。駐車場の混雑を予想して早くに空港に行きましたが、それほどでもなく、スムースに駐車できて、飛行機到着まで2時間近くありました。それで読書タイム。

 半年ほど前、ブックオフで見つけた『運気を上げる ごはんのひみつ』(開運料理人ちこ PHP 2016年)を読了。買ってすぐにパラパラと一度読んだきりでしたが、先日、孫たちのお布団を敷くために、床に積みあがった本を片付けているときに、ふっと目に入った本。その本を携えてきました。

 昨日このブログに書いた「ひかりのごはん」という言葉は、開運料理人ちこさんのもので、この本で知りました。大切な人のための心の栄養になる「温かいごはん」よりずっとエネルギーの高い、魂の栄養となる「ひかりのごはん」。

 文章が強烈で、ぐいぐい迫ってくるので、ふっと腰が引けてしまうくらいの、エネルギーに満ちた本です。「ひかりのごはん」というネーミングに惹かれました。

 開運料理人ちこさんは、浄化についても詳しく書いておられます。大阪に4件の食堂を経営しておられますが、その空気感も大切にしておられるとのこと。掃除は一心不乱にやる。浄化を当たり前にして、新嘗祭は11月23日だけではなくて、毎日。

 そんな発想に刺激を受けました。きりしま月の舟のカフェ部門は、あまり本業の負担にならないようにしよう、というくらいの気持ちでしたが、文学と浄化と「ひかりのごはん」は、実は同じ次元にあるもの。

 わたしが目指すのも「癒し」ですから、その空間に一歩入るだけで浄化され、元気になるくらいの空気感がなければいけません。てげてげではいけないのです。文学講座もカフェも掃除も全部大切で、同じ価値があるのですよね。

 娘たちの乗った飛行機が15分くらい遅れたので、きちっと読了できました。あと3回くらいこの本は読むことになるかな。

 あともう一冊携えてきたのが、ついこの間出版されたばかりの『シラバス論』(芦田宏直 晶文社)。550ページもある本で、そのうちの100パージが索引という、凄い本です。適当なことを言うと、ものすごく突っ込む方なので、ここに読んでいることを書くのさえ怖い(笑)。大学時代の知人で(これも友人とか言ったら、友人ってなんだ、と突っ込まれそう)、このわたしのブログを「へらへら書くな」と突っ込まれて、「やーなこった」と答えた過去があります。

 この本のなかに対談の部分があって、その対談相手の本間正人さんがおっしゃるように、芦田さんはいつも「哲学している」人。常識をつねにぶっ壊している人、革命家のような言動で、周囲をぶった切っておいでです。

 大学教育における先生方が学生さんたちに示すシラバスをもっと詳しく書いて、コマシラバスを作ることで、多様化した学生たちに細やかに教える。何を教えるのかを明確にする。学生さんたちの達成度を重視する。

 わたしもシラバスを作る側なので、本当にこの本の意味するところがわかります。そして、読み進めるごとに深い愛を感じるのです。それは学ぼうとする学生さんたち、とくにお勉強が得意でなかった学生さんたちへの愛に満ちている。

 開運料理人ちこさんも芦田さんも、世界への愛に満ちています。ものすごく高いエネルギーで周囲に大きな刺激を与えておいでです。それがまた、お金儲けしよう、とか、有名になろう、とかではなくて、本当に無条件で世の中をよくしようという熱意に溢れています。

 『シラバス論』も一通り読みましたが、もう一度しっかりと読みたいと思って、つねに持ち歩いています。重たいんですけどね。持ち歩かないと、机の上に置きっぱなしにしそうで、手提げかばんにいつも入れています。

 『シラバス論』については、またゆっくりと書きます。そして、自分でもコマシラバスを短大の講義だけではなく、源氏物語、百人一首などにも応用して、しっかりと作っていきたいと思います。

 さ、明日は伊集院の母のところへ、孫たちを連れていきます。お昼ご飯をすませてから行くね、というのですが、何度言っても「ごはんを用意して待っている」との電話が来ます。

 90歳の母は料理上手で、うちの娘たちも母の手料理で育ったようなものですが、すっかりと体力が落ちて、自分の食事もままならないので、「ごはんを食べてくるね」と言ってもダメ。お弁当を持っていくと、「持って帰りなさい」とのたまう。自分でできない分をお手伝いさんだけに頼んだらいいのだけれど、弟嫁さんにわたしたちのごはんを作ってもらうのは、あまりにも申し訳ないので、それをさせたくないのです。

 わたしと次女が母のおせち料理作りのお手伝いに行く、というのが、いつのまにかわたしたちにご飯を食べさせることになっているようで、あれれ。90歳の母は、わたしたちが行くと、ビフテキだ、すき焼きだ、と高カロリーなものを用意しますが、もう60歳のババアにステーキは堪えます。娘や孫たちの好物という視点はなしで、ごちそうと言えば、ビフテキ、すき焼きでしょ、という感じ。

 へこんだ身体に、これでもかこれでもか、と高カロリーが供給されると、それはもはや「ひかりのごはん」ではなくなります。食べるのが重たい。意気揚々と作っている母にそれを伝えるのは至難の業です。生きがいをなくしてしまいそうだから。先日も直接、「おひるごはんは食べてくるから、いらないよ」と強く言ったにもかかわらず、わたしがいないときに、ユタカ君への電話で、「ごはんを用意しておきますから」ときっぱりとのたまったらしい。母の認知脳は暴走し続けています。

 まあ、明日、どうなることやら。こうなると、食が暴力に等しくなってきます。「わたしの作ったのが食べられないって?」という感じで。それだけならいいのですが、どんなかたちになろうと、「きみこたちは、90歳の老人にご飯を作らせて、しこたま食べて帰った」という物語ができあがって、それを世間に流布するというのが、いつもの母のパターンですからね。

 ああ、怖い(笑)。ま、何とか対処しましょ。お茶だけ飲んで、おせち料理をわたしが「チェック」して、確認して、貰える食材は貰って(笑)、「きみこはコソ泥みたいに、実家の食べ物を持っていく」と言われても、へこまない精神力で、明日を乗り切りましょう。実際、母の数の子を狙っています。というのも、北海道展で買った数の子は、実はアメリカ産で、何だかなあ、の代物でしたからね。ま、こんなに実家に行くのに、戦闘態勢になるっていうのも、本当に悲しいですけどね。

 母はゆっくり座っているのを罪だ、と考える人ですから、特にお正月に寝正月なんて、母の辞書にはない。おせち料理を作らない、というのもない。働かざる者食うべからず、をいまだにモットーとしていますから。

 でもね、働き者の母のおかげで、わたしも少しはよく働く主婦になりましたからね。母がおせち料理も作らないどころか、自分で自分の生活をきちんとできない人だったら、わたしみたいな怠け者は、さらなる怠け者になって、今頃、すごい不満だらけのおデブになっていたでしょう。いまでもデブですけれど、まだ動いているから、何とかなってる。

 こんなに希望をもって生きていられるのも、働き者の母のおかげです。ありがたいなあ。心から感謝します。

 ということで、明日、実家に孫たちを連れて行ってきます。皆さま、おやすみなさい。ついに午前零時を超えて、12月31日になりましたけど、年内にもう一回ブログを書きますね。こうなったら、ビフテキ食べて、ブログ書くしかないな(笑)。
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2019年12月29日

自分を生きるレッスンその598 癒やしの時間

 昨日、クラッシック音楽を聴きながら、ブログを書いたり、料理したり、リビングのお掃除をしたりしていると、とっても気分がいいので、「ああ、音楽を仕事にしたらよかったな」と思えてきました。

 音楽だと仕事がそのまま癒やしになる気がする。音楽の仕事をしている方々は、そんな余裕はないかもしれませんが、文学=言葉の世界だと、それだけで厳しい感じがします。こんな言葉じゃいけない、とか、美しい言葉を使いましょう、とか、なんだか制限が多い感じがします。

 ま、わたしの場合、音楽の才能はない。一度として「音楽の才能がある」と確信した瞬間はないですね(笑)。でも音楽は大好き。クラッシック音楽を聴くこと、ピアノを弾くこと、特にピアノソロのリサイタルを聴くのが大好き。独唱も大好き。オーケストラみたいな迫力あるものよりも、室内楽のようなスタイルが好みです。

 きりしま月の舟でも、これから月に一回はコンサートをやる予定なので、わたし自身が誰よりも歓んでいるかもしれません。

 文学の方だと、「もしかして、わたしって才能があるんじゃないかしら?」と思った瞬間はいっぱいあります。小学生の頃から、作文を褒められていたし、中学になっても、読書感想文の賞状は毎年もらっていたし、高校時代の国語の成績もよかったしね。そして、大学文学部に進んでからも成績優秀だったし、道を間違えたってことはあまりなかったな。大学院に進むときに、弁護士になっておけばよかったかなあ、と思ったけれど、いやいや、さらに厳しい世界だろうな、と諦めたっけ。大学院時代も成績優秀だったし、子育て中も文学の勉強をやめるなんて、一ミリも思わなかった。

 だから、この道に進んで、何の悔いもないのだけれど、文学の道って厳しいなあ、といつも思います。どこに向かって歩いて行けばいいのか、皆目わからない。道なき道を歩んでいる感じ。どこに向かうかを、ただひたすら自分に問い続け、工夫し、お金を工面して、人と信頼関係を結び、ここまで来ました。

 まあ、わたしってよくやってきたなあ(遠い目)。研究者であれば、大学に勤務して、論文を発表して、というような路線がまだあるからいいけれど、わたしの場合は、文学で独立していこうとしているなんて、日本でも世界でも例がないかもしれません。

 でもいいんだ。わたしはミーハーだから、ミーハー路線でいけばいいもんね。ミーハーなわたしだからこそ、きりしま月の舟をスタートさせるにあたって、「癒やし」を大きなテーマにしたいなあ、と思うのです。文学を勉強した方々は、研究者になることを目指しておいででしょうが、わたしの場合、研究者への道は進まなかった。子どもが次々に生まれたこともありましたが、そういう机上の空論よりも、実践的なことの方が好きだし、得意かもしれません。

 お料理も大好きだし、おいしいご飯、身体にいいご飯、暖かいお茶、コーヒー、とびっきり美味しいスイーツ。それが毎日あって、コンサート、講演会、文学講座がいっぱいあって、月の舟には癒やしをたっぷりご用意しますよ。

 癒やし、というと、「卑しいね」と言う方がありますけど、わたしはそうは思わない。癒やされたいときに、癒やしてほしい、と言うこともとても大事なこと。そして、わたしには「人を癒やす能力」がどうもあるみたい。

 ほんとうの癒やしとは、自分の本質に気づくこと、と教えていただいてから、わたし自身の癒やしの能力に気がつきました。たとえば、文章教室で生徒さんの書きたいポイントがわかるし、閉ざしていた心の扉を開けることは得意です。もちろん、強制的なことはしませんし、ゆっくりと心の扉をあけるお手伝いをするのですが、どうも直感的に、いろんなことがわかるんですよね。「書く」ことで、皆さん、本当に元気になって、自信をつけていかれます。

 カウンセリングはまた専門的な勉強が必要でしょうから、わたしは言葉を通して、人を励ましていきます。文章教室、万葉集、百人一首、源氏物語、世界文学、コンサート、きりしま学、読書会、朗読会、合唱クラス、歌、ピアノ、ヴァイオリンの個人レッスン、いっぱい講座やイベントをやりますね。月の舟カフェでも、「ひかりのごはんセット」をご用意しますよ。食べるとエネルギーが湧いてくるおむすびとお味噌汁とお豆腐のセット。それとスイーツセット。楽しみだなあ。

 今日は、午前中に、薪ストーブ屋さんと契約をして、イギリス製の薪ストーブを「きりしま月の舟」に設置することにしました。薪ストーブの選定には、ほんとに悩みました。かなりのお値段がしますからね。これが自宅の薪ストーブなら、格安のものでもいいでしょうが、公共的な空間で薪を焚くとなると、やはり安全を重視しなければなりません。

 薪ストーブ専門店やネットで情報を仕入れ、イギリス製に決定。工場が、ユタカ君が住んでいたエクセタにある、というのも決定条件。ご縁ですなあ。

 今日は、大掃除もかなりやりました。ユタカ君がおトイレの窓の掃除をしてくれましたし、昨日はお天気が良かったので、リビングのカーテンも洗いました。明日は、京都の次女一家が帰ってくるので、アレルギー体質の娘と孫のために、えんやこら、と大掃除です。

 先ほど、元日用の和風ローストビーフを作りました。カブと鶏肉の炒め物(ナンプラーレモン風味)は明日のお夕飯にするかな。「きょうの料理」のテキストを見ながら、楽しんでやっています。これから数の子のマリネを作って、今日の分は終わりにするかな。あ、そうそう、明日のお昼ご飯を準備しないとね。

 昨日、大工さんたちが忘年会だと言って、早めに帰られたときに、「おお、いいなあ。若いっていいなあ」と思えて、楽しんでらっしゃい、と送り出したのですが、ユタカ君が「じゃ、ぼくらも今夜は忘年会しようか」と言ってくれたので、じゃ、張り切ってお料理するね、とふたりで盛り上がりましたが、ま、いつもの食卓で、なんだか30分で宴たけなわって感じだったな(笑)。

 ユタカ君との毎日は、とってもとっても幸せで、「なんつはならん(なんとも言いようがないくらいに最高)」と鹿児島弁でしみじみと言いたいくらいなのですが、ふっとよぎる寂寥感は、一体何だろうな。ああ、わたしたちは年を取ったんだなあ、という感慨とでも言いましょうか。

 とくに忘年会をしたいわけでもないし、もう目一杯、飲み会なるものを楽しんできましたし、これからも楽しむだろうと思うのですが、もう若いときみたいな「飲むぞ」という気魄は湧いてこない。

 なぜか、ユタカ君が映画「ON GOLDEN POND」のDVDをかけて、ひとり上映会をはじめたので、一緒に観ました。不思議なことに老夫婦の愛の物語で、とても素晴らしい映画でした。その最後に、夫が持病の心臓病の発作が出て、死にかけたときに、妻は「神よ、彼を連れて行かないで」と祈るのですが、死ぬことも悪くはない、というニュアンスと夫婦愛の堅固さというか、死を恐れない感じがとても印象的でした。

 わたしも、死ぬことが怖くない、とまで言い切れませんが、今後の人生に、あまり不安はないなあ。とても落ち着いた気持ちで、現在も未来もある、と思えます。それは、ユタカ君がいるから、というわけでもなく、多分、ユタカ君もわたしが先に死んだとしても、お互いに、忘年会のシーズンにひとりで霧島の自宅で家飲みをしていたとしても、自分で自分を豊かにする術を知っている、という自信があります。

 娘たちや孫たち、若い人たちが遊びに来てくれたら、またそれも嬉しい。きりしま月の舟がある限り、仕事を続ける限り、お客様が来てくださる限り、わたしはいつも輝いていられる。いえ、何がなくとも、わたしは<光>であるしね。

 おお、そんな自信がいつついたんだい、と思うくらいに、わたしは成長しましたね。きっとそれは、感情をコントロールしなくっていいんだ、怒っていいし、寂しいときに「寂しい」と言っていいし、「一緒に遊ぼ」と誰かに声をかけてもいいし、自分の感情を素直に出せば、悲しみも孤独も一瞬で解決できる、そんな気がしています。

 お金があるから大丈夫、とか、配偶者がいるから、子どもが優しくしてくれるから、地域のサポートがあるから、頼りになる人がいるから、住む家があるから、健康だから、長生きの家系だから、とか、そんなことも大事かもしれないけれど、「わたしって、すごい」「わたしなら、ちゃんと生きて、ちゃんと死んでいける」「わたしは、わたしだからすごい」「わたしはそのままでいいのよ」という思いがあれば、本当に大丈夫な気がします。

 孤独で思い詰めて死んだっていいじゃない。子どもに甘えて迷惑をかけたっていいじゃないの。孫だっているし、ご近所さんもみんな良い方ばかりで、何の苦労もないさ。

 わたしのまわりには、不幸が大好きな方が多くて、ちょっとでもしあわせなオーラを出すと、よってたかって、不幸になれ、という呪文をかけてこられますが、そんなの知らないな。皆さん、あまり不幸オーラをまき散らさないでくださいね。

 今年になって、20年近く続いた「なのはなクラス」、8年続いた「なでしこクラス」が終わって、自分の文学講座が減ったので、とても楽になりました。身体的にも時間的にも。自分としては、やりきった、という達成感があるので、何の後悔もありません。

 それで火曜日と土曜日の午前の時間があいて、ゆっくりと霧島で過ごせて、またそれもしあわせな時間。これからこの空気の良い、自然がいっぱいの土地で過ごせると思うと、それだけでしあわせな気持ちになります。

 明日になれば、京都の次女一家が帰ってきて、本当に嬉しい。それまでの掃除、料理、そして美容院とやることがいっぱいですけど、それがなんてしあわせなことでしょうか。わーーい、と叫びたくなります。

 わたしたちは、思い描いたとおりの人生を歩むのです。理想の生活、理想の生き方をとにかく実践すること。やはり、理想を語るためには、文学=言葉が必要ですね。音楽にはできないな。音楽は癒やすことはできても、理想を語ることはできないでしょ。ほんと、それぞれの役割があるんだな。

 きっとわたしは理想の自分を生きるために生まれてきたんだ。理想の自分を生きることが、わたしの役割なんだな。理想の生き方を言葉にして、理想を生ききっていきます。

 わたしの理想の生き方とは、毎日勉強して、本を読んで、人と会って話をして、授業をして、おしゃれをして、料理をして、最高にしあわせな笑顔を振りまくこと。読書をすることによって、新しい気づきがあり、最高の授業をすることで、人間の真理を探究し、それを伝えていきます。きりしま月の舟で、美味しい食べ物「ひかりのごはんセット」を提供しつつ、芸術三昧で過ごすことで、たっぷりと世の中に癒やしの時間を提供します。

 それをあと30年は仕事としてできるように、健康でいます。元気でいます。たくさんの方のご協力をいただきます。

 ああ、なんだかドキドキします。新しい人生のスタート。皆様、これからもよろしくおつきあいくださいませ。

 そうそう、来年は「イケメン忘年会」をやろう、とFBで盛り上がりました。熟女がイケメンを連れて、忘年会をするというもの(笑)。まるでスケベ親父の発想ですわ。でも、楽しいね。わたしはイケメンが趣味なので、いっぱい候補がおりますわ(オホホ)。

 そういえば、妹が還暦を迎えるので、お正月にお祝いをしてあげよう、という話になって、わたしが会場選定とかして、きょうだいに連絡を取っていたら、弟がこんなことを言いました。

 「ババアになるお祝いをして、何するんだ?」

 言うじゃないの。ババアにはそうそうなれないんだよ。お祝いじゃないのさ。女性も男性も「ケスイ」ところが出てきてこそ、本物。いつまでも被害者意識の強いバカ女のままでは、60歳以降をしあわせに生きていけませんわ。わがきょうだいは、口の悪さでは天下一品ですけど、久しぶりに90歳の母を囲んで、集まるのも楽しみ。

 さあ、明日も忙しいな。買い物をして、美容院に行って、空港に娘たちを迎えに行って、霧島に帰って、お夕飯の準備。

 どんなことも楽しくてしかたないお年頃。熟女は、忙しいのがちょうどいい。このしあわせをあと30年生き抜いてみますわ。

 ブログが今日で598回目。それで、明日30日が599回、31日が600回、元旦で601回、ととてもキリがいいので、これから毎日書きますね。ますます本気で、人生を楽しんでいきますし、人生100年モデルになりますよ。スタイルには恵まれなかったから、生き方でモデルとして勝負だ。

 では、また明日。おやすみなさい。
posted by kimiko at 21:03| Comment(0) | 日記

2019年12月28日

自分を生きるレッスンその597 境界線を引く

 今年も残すところあと4日。年賀状600通を出しました。月の舟通信99号も340通できあがりました。元旦に着くように、31日に発送します。

 12月21日のアガサ・クリスティ「オリエント急行の殺人」読書会で今年の月の舟講座は全部終わり、受講生の皆様にバスソルトをプレゼントしました。22日がオフ、23日が伊作での「百人一首」講義、24日が鹿児島復活教会でのミサ参加。又吉先生と福永じゅん子先生の独唱があったので、それがとても楽しみでした。さすがのおふたり、優しいお声で、気持ちが豊かになりました。ミサのあと、教会でチキンやおにぎり、スイーツなどをごちそうになり、月の舟の会員さんも何人もおいででしたので、ご一緒しました。

 24日に鹿児島市内のホテルに泊まり、25日は一日、年賀状の発送、月の舟通信の編集に費やしました。夫婦ふたりでやる仕事の楽しいこと。お互いのテリトリーがあって、そこを信頼しながらやっていくことも30年弱。彼が月の舟専属になってから8年。最初はけんかばっかりでしたけど、今はもうけんかする時間がもったいない。仕事も格段に早くなりました。

 26日は、映画「夕日のあと」を観賞。特別養子縁組の問題、生みの親、育ての親の問題とハードなテーマでしたが、素敵な映画でした。ロケ地が鹿児島県の長島ということで、その風景がとっても美しい。音楽も、汽笛の音、波の音、太鼓の音などが効果的に取り入れられていて、音楽なしの画面で見せるシーンが多かったですね。そこがよかった。最近亡くなった木内みどりさんの演技が素晴らしく、主演の貫地谷しおりさん、山田真步さん、川口覚さん、永井大さん、役者さんたちがとっても個性的ないい味をだしておられて、素晴らしいなあ。

 ただひとつ、気になったのが、貫地谷しおりさんのアイメイク。あまりに素敵すぎて、あれはセレブのパーテイ用のアイメイクじゃないかい、と心の中で突っ込みを入れておりました。貫地谷さんのお肌がきれいすぎて、アイメイクが化粧上手な人のそれで、山田真步さんがほぼすっぴんで演技しておられたのと対照的すぎて、違和感がありました。わたしだけかな。貫地谷さん専属のメイク担当の方がおられたようですね。

 あまりに素晴らしかったので、貫地谷さんのデビュー映画「スイングガールズ」を昨夜、ユタカ君と一緒にDVDで観ました。三女が大好きな映画で、ちゃんとDVDが手元にありましたし。これまた、楽しい映画だったな。

 27日は、「鹿児島のお正月料理」の料理教室に参加。千葉しのぶ先生が会長の郷土料理マイスター協会主催の料理教室でした。鶏だしでとるお雑煮。里芋の大きいのが入って、味噌味。貧しい鹿児島では、お餅は貴重品だったので、里芋の大きなのを入れて、お正月のお雑煮にしたそうです。鶏だしなのも、お正月には自分ちの鶏を一羽絞めて、煮しめなどにも使ったので、お雑煮も鶏だしだったそうな。にんじん、かまぼこの切り方、いろいろと勉強になりました。きみこオリジナルのおせち料理に活かします。みたけさんちのお正月メニューはだいたいメニューは決まっていますが、鶏だしというのは新しいアイデアで、ちょっといっただきーーー。
 
 午後から文章教室の個人指導。これから半年ほどかけて本にしていかれます。わたしが文章指導をして、ユタカ君が編集して、本にされるお手伝いをこれまで何件もしてきました。書くことが楽しくなるように、苦しいところを乗り越えていけるように、伴走させていただいています。

 きりしま月の舟も、順調に仕上がっていますよ。わたしたち夫婦がいるときは、大工さんたちとお茶をご一緒しているのですが、その時間もまた楽しいですね。今日の10時のおやつは、フレンチトーストと鹿屋産のチーズをのせたクラッカー。紅茶とともに。おいしそうに食べていただいて、うれしいなあ。

 さあて、今年一年、本当に楽しかった。嫌なことなんてなかったな。あったとしても、それもまた人生。乗り越える力がついて、本当にありがたいです。

 最近の発見として、人間関係の極意は、他人の領域に入り込まないこと。わたしとユタカ君が仲良くしていられるのも、お互いの境界線をきちんと守っているからだとおもうのです。自分のペースで行動し、他人をコントロールしない。他人の悪口を言わない。

 月の舟の運営は、お互いの責任であること、その責任を全うするためには、自分の力を最大限発揮すること。他人様が重荷になっていては、自分の力が発揮できません。いつも一緒だからこそ、お互いの思いやりは必須。突き放すのでもなく、距離を置くというのかな。

 「対等」という言葉が大好きです。娘たちとも孫たちをはじめとする若い人と対等でありたい。それは、若い人ぶる、ということではなくて、他人を尊重する、ということですね。

 わたしは、子育てのなかで「うちの子ったら、もうバカでしょうがないんですよ」というような、一見謙遜に見える悪口を言ったことがないですね。言わないように気をつけていました。だいたいにおいて、うちの娘たちは優等生なので、叱るようなこともなければ、困ることもそうなかった。大きな出来事もいくつかありましたけど、娘たちの方がずっと自立していたと思います。

 わたしは、ほとんどの人とすぐに仲良くなれる体質で、他人を疑う、ということのない人間ですし、自分のスペースでたくさんの人と一緒にくつろぐことは大好きです。いつもお客様の絶えない家庭で育ちましたから、自分の手料理を振る舞うことは、本当に大好き。信頼できる人であれば、どんどん泊めるし、それが嫌でも何でもない。

 だからこそ、他人様が自分の領域に入り込んでくることをついつい許してしまって、重たくなることも多いのですが、最近はそれがほとんどなくなりました。大人になったなあ。気持ちよくおつきあいのできる方ばかりで、ありがたい限り。

 最高にしあわせであるために、自分の世界に他人をつけいらせない生き方をしなければなりません。それは、決して人間嫌いとか、冷酷、とか、コミュニケーション下手というのではなく、自分をきちんと生きることなのです。他人との間に境界線を引けてこそ、自立なのです。早い話が他人の悪口を言わない。もし他人から自分の悪口を言われても、動じない。だから、何なのさ、という威張った態度でいたらOK。

 一日を細やかに生きる。正直に生きる。自分に正直でないから、ついついノーと言えなくて、他人を自分の領域に入れ込んでしまう。自分はどう思っているのか、どんなことをしたいのか、何を目指しているのか。何を理想としているのか。何が嫌いなのか。

 わたしって、本当にわがままだなあ、と思います。ただただ、自分のやりたいことだけをやってきた。社会がどうのこうのとかではなく、自分は何をしたいのか、そういうことばかり考えていた。文学講座が大好きで、授業をすることが楽しくて、楽しくて、必死で30年を突っ走ってきました。社会貢献とか、考える暇もなかったな。

 おかげさまで勉強の蓄積ができて、毎日が楽になりました。でもね、まだまだ緻密な授業計画を立てないといけないな、と思っています。細やかに授業準備をする。それがまた楽しくて仕方がない。

 毎日をきちんと生きる。朝起きてから、夜寝るまでの一日をばっちりと生き切る。細やかに、正直に生きる。

 きりしま月の舟ができあがったら、往復3時間の通勤時間が、なんと10秒に短縮(笑)。カフェを併設するので、お客様は通りすがりの方とかもいらしてくださるでしょうし、こちらから無理にお誘いしなくても、飲食業というのはふらりとお客様がおいでくださる、と流行ってる居酒屋のオーナーさんが言っておられましたが、うちもそうなる気がする。何の根拠もない自信ですが(笑)。

 ようやく自立できて、これから30年がとっても楽しみ。素敵な60代が過ごせそうです。あとはしっかりと体調管理をして、健康であるように。

 では皆様、よいお年をお迎えください。年内にもう一度ブログが書けたらいいなあ。とりあえず、来年もよろしくお願いいたします。皆様の励みになるような文章を書いていきます。
posted by kimiko at 13:23| Comment(0) | 日記