2019年11月30日

自分を生きるレッスンその591 美麗元年

 小中学生のころ、自宅のすぐ近くに小さな書店があって、結構、そこに入り浸っていました。何も買わなくても、本の背表紙を観ていることが好きだった。はじめて小学生で図書館に入ったとき、たくさんの本にわくわくして、「全部、読み切ろう」とすぐに決心したのは、小学一年生だったような。

 次女一家が住む京都に連続して泊まるときは、マンションのすぐ近くにあるスーパーによく出かけて、二階の本屋さんを覗くことが多い。その本屋さん、雑誌が中心で、品数も少ないし、立ち読みしているお客さんすらいない、くらいの時代の流れから取り残されたような本屋さんなのですが、わたしはここの本棚を眺めるのが好きで、わたし的には結構掘り出し物があるのです。

 読者の意向を忖度しない、B級グルメ的な本の品揃えがいい。こういうところで、自分に合った本を探す快感。わたしって、天才じゃないか、と思う瞬間です。本が大好きで、一日一冊読書をノルマにしているし、つねに3冊は携帯して、ジャグリングしながら読むわたしですが、最近はまっているのがスピリチュアル本。

 このスーパー2階の本屋さんは、スピリチュアル本と雑誌がやたら多いので、わたし好みなのでしょうか。以前は、魔法のクロスが付録についている掃除の本を買って、大変お買い得でした。というのも、1,200円もしたけど、とても性能の良いクロスに出会って、お掃除が楽になったからです。でも、このクロス、いろんなところで売っていることがわかって、少し飽きてきました。先日行った時には、この本が平積みしてあって、わたしの感動がどこから伝わったのだろうか、とびっくりしました。なぜか、今度は1200円が高く感じて、また買う気がしませんでしたけど。

 で、今回の収穫は、PHP特集「運を強くする!」というやつ。そのなかで、Drコパさんの「自分の元号を決めて、そのテーマに沿った暮らしをする」という記事に惹かれました。たとえば、楽しいことだけをして暮らすというテーマで「楽楽元年」とつけるとか。

 そうか、いいなあ、と思った瞬間、「美麗元年」という言葉を思いつきました。美しく麗しい年にしたい。痩せてスリムになって、本当に素敵な女性になりたいな。心も美しく、麗しく、リッチで、豊かな人生。

 そして同時に、いま、デブでチビでブスな自分が愛おしくて、背が低くてもいいじゃないか、デブでもいいじゃないか、ブスでもいいじゃないか、と自分をすべて許してあげたくなるような気持ちが湧いてきたのです。

 デブな自分にダメ出しをしていては、いつまでたってもダイエットは成功しないと思う。逆にどこをどう引き締めればいいか、食事はどうか、などと考えていく方が楽しいですしね。

 自分の制限を外す。女性だから、お金がないから、忙しいから、旦那が許さないから、親が毒親だったから、などと言い訳はいくらでも出てきますけれど、そんなの関係ねえ、と開き直ってしまえば、すべてが愛おしくなります。

 お金が有り余るほどある。時間もたっぷりある。愛もたっぷりもらっている。何ひとつ不足することがない。わたしって、パーフェクト。そんな風に生きていれば、何のことはない。悩みなんて、何にもなくなります。

 今日は、午前中にいっぱい掃除をして、午後から買い物に出かけました。明日の上棟式のための鯛を注文してあって、それを取りに行くついでに国分山形屋で買い物をしていこう、とユタカ君とふたりでいろいろと買い物をしていたら(特に牛スジを買いたかった。昨日寄ったお肉屋さんでは売り切れていました)、国分山形屋ではただいま北海道展。鹿児島市内の山形屋での北海道展はすでに終わって、12月9日まで国分山形屋であるそうです。ちらっとチラシを見た記憶がよみがえりますが、行く暇はないだろうな、と特に記憶にとどめることもなかったのに、たまたま北海道展に行ってみたら、それはそれはにぎわっておりました。

 ここでもいくつか掘り出し物があって、ほくほくしながら帰りました。こうして買い物を楽しめるって、なんてしあわせなのかしら。ありがたいなあ。自分のものというよりは、明日の餅まきに来てくれる子どもたちのために、お菓子やら、それを包む袋やらを買うときの楽しみ。ユタカ君がかわいく包装してくれましたよ。

 わたしは、牛スジ肉と大根を煮ます。何しろ、大根が6本届きましたからね。しかも葉っぱ付き。農業青年・裕太君に頼んでいたら、どーんと大箱で届きました。そのうちの2本を大鍋で煮ます。ごぼう、にんじん、こんにゃく、ゆでたまごも足して。美味しいのができました。明日はお弁当を特注してありますが、それで足りないときのためのおかず。焼酎にも合いそう。

 お隣りのDさん、小谷豆腐のおじちゃんから焼酎をお祝いにいただき、会員さんからもいっぱいお祝いが届きました。ありがたいことです。本当に、嬉しい。

 「きりしま月の舟」も大工の味園さんとお弟子さんの桑原さんのおかげで、とても美しい空間に仕上がりつつあります。窓のかたちがとっても美しい。四方から陽がさんさんと降り注ぎ、かつ室内から庭の木々や山の稜線がしっかりと見えて、まるで絵のよう。広すぎず、狭すぎず、ちょうどよい大きさで、大満足です。

 さ、これからのわたしの課題は、ここでしっかりと稼いでいくこと。そのためには、これまで以上に楽しいことをいっぱいやって、楽しさの枠をはずして、もう天の領域まで行くこと。これまでの倍のエネルギーを発信して、たくさんの方に心の豊かさを提供していきます。

 自分に課している制限をはずす。鹿児島の女性は、人に後ろ指をさされないように、小さな枠で生きようとされますが、ほんとにもったいない。他人になんと言われようと、いいじゃないですか。自分の人生ですもの。自分のやりたいことをやって、着たいものを着て、食べたいものを食べましょうよ。

 いまテレビドラマの「ドクターX」が大好きで、米倉涼子さんが「わたし、失敗しないから」とおっしゃると、ぞくっとして、いいなあ、と思います。それに倣って言えば、どんなことをしたって「わたし、世界一のしあわせものだから」くらいは言えるかな。

 18坪の小さな空間ですが、わたしとユタカ君のお城がもうすぐ完成します。自宅と仕事場をこうして持てて、本当にしあわせです。これも親兄弟、家族、会員さん、友人たち、ご近所の皆様、本当にたくさんの方々のお力添えでできることです。心から感謝いたします。

 ユタカ君は、明日の餅投げのときの小銭を包んでいます。わたしはその横で、ピアノの練習。だいぶよくなってきましたが、まだノーミスとはいかない。12月7日(土)が本番。鹿児島市よかセンター8階の大ホールで午後6時から。あと一週間、がんばります。こちらも入場無料ですので、よろしかったら、麗華ピアノ教室の発表会にいらしてくださいね。今回は、月の舟関係の大人の方々が張り切って出場です。

 60歳を過ぎてのピアノって、本当に牛歩の進み具合。割合になんでも器用にこなすわたしですが、ピアノだけは、なかなかうまくなりません。天才肌のみたけきみこにできないことがある、っていうのがまた、いいなあ、と思いつつ、一所懸命練習しています。麗華先生はいつも上手に褒めてくださいます。「幻想曲さくらさくら」を弾けるなんて、すごいですよ。きみこ先生ならできますよ。といつも優しく励ましてくださるので、わたしも「そうっすか?」みたいなノリで、さらに続けていくわけです。

 先日も、山崎文乃さんのピアノリサイタルを聴きましたが、素晴らしかったなあ。感動しました。鹿児島にもこんなに素晴らしいピアニストがいっぱいおいでですよね。わたしの30代に比べて、いまどきの若者たちの天才ぶりって、凄いです。わがチームきよらのメンバーもそうだし、本当に才能の塊みたいな方たちが、そこらへんにざっくざっくいるって感じ。

 そんななかで、個性というもの、あるいは安定したプロであるためには、「制限を外す」ことが大事なんじゃないかなあ。自分を突き抜ける。他人の思惑に足をとどめたりしないで、人がなんと言おうと、自分を生きる、と心に決めて、前進あるのみ。

 そこでのみ、不可能が可能になるはず。特に父親に愛された娘は、父親の価値観に束縛されたり、自分は無条件に世間で許される、と勘違いしたりして、世間の荒波をくぐっていけない。わたしがそうでしたからね。

 62歳からが人生の本番。楽しみです。ようやく生きる力がついてきましたからね。人生100年時代の良きモデルでありますように、健康で明るく個性的なみたけきみこをこれからも生きていきます。

 明日12月1日が、わたしにとっての美麗元年。美しく、麗しく、生きていきます。そのうちにまた気が変わったら、元号を改元しますね(笑)。

 明日は、午後3時から餅まきですよ。紅葉もラストの美しさ。紅葉狩りのついでに、どうぞ霧島みたけ邸までおいでくださいませ。

 さ、明日も張り切っていきましょう。皆さまも素敵な一日をお過ごしください。
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2019年11月26日

自分を生きるレッスンその590 成長する

 11月23日の学会は、大盛況でした。今回は、日本近代文学会、昭和文学会、日本社会文学会の3学会が合同で開催するというもの。延べ600名の方が参加されたそう。

 午後2時から明治大学で、平野啓一郎さんの基調講演「文学は何の役に立つのか」。90分を飽きさせないで、立て板に水のごとく、流暢にお話されます。殺伐とした現代において「文学は、正気を保つために必要だ」とまず、がつーんとパンチをお見舞い。

 かつては、書くことは得意だけど、人前で話すことはどうも、という作家さんも多かったと思うのですが、平野さん世代になると、ルックスはいいわ、話も上手だわ、時間はきっちり守るわ、聴衆がどんなジャンルの人たちなのか、きちんと計算されて、まるで小説を読むかのごとき講演会。

 聴衆の皆様も、大学の先生とか大学院生とか、日本の知を担っている意識の高い方々ばかりですから、本の紹介も「あ、君もこれ読んでるんだね、なかなかやるね」級のレベルをあちこちに配備。

 わたしにとっては、「ベスト・ネットワーク」「アートワールドの自立性」といった言葉が印象に残りました。そして、平野さんは、自分の感受性を信じて疑わないんだな、とそのゆるぎない姿勢、媚びない姿勢に感銘を受けました。

 作家と研究者という違いはあっても、同じ文学というジャンルに携わる者同士で、現代の閉塞状況を打開していく手立てを考える。その糸口をお互いに探っている、という感じでしょうか。洗脳されるくらいの怪物講演者がそこにおいでではなくて、ちょっと下の世代の中堅の表現者の発言を聴くことで、自分の考えをまとめていく。

 これまではおそらく各個人の能力の差が大きかったのでしょうが、今の時代は、100人ほどが横並びで走っている状態。いえいえ、もしかしたら各ジャンルで一万人規模くらいかも。だからこそ、力を合わせて、その横並びの群れの共通認識を確認し、それぞれの個性を活かしあいながら、共同作業をする。そんな時代なんだなあ、と思いながら聴いていました。

 わたしがこの学会で得たものは、文学というジャンルにこだわることなく、広範囲に手を広げていいし、自分の得意とするところで勝負し、じゃんじゃんコラボしていく方向性がいいんだな、ということ。それはわたしがこれまでやってきたこと、自分の専門の近代文学にこだわらず、古典文学をやったり、世界文学をやったり、音楽や美術とコラボしたり、という方向性は、時代にリンクさせたつもりでもなかったのに、しっかりと時代の波に乗っかってる。その確信が持てました。この時代を20年くらい早く走ってきたんだなあ、という感慨に耽っています。

 あと30年、こうしてあちこちに出没しながら、世の中の動向をキャッチし、引退することなく、わたしにできることを精一杯やっていこう。そんな元気を頂きました。

 さて、学会2日目は、個別研究の発表がたくさんありましたし、午後のシンポジウムもかなり今日壬生菜かかったのですが、三女と朝食を一緒に食べるべく、池袋で待ち合わせをして、美味しいコーヒーのお店を見つけて、しばしおしゃべり。長女一家もだいぶ良くなって安心して次の行動へ。新幹線で京都に向かいます。

 京都国立博物館の「佐竹本三十六歌仙絵巻」展を鑑賞。最終日に間に合いました。秋田藩の藩主・佐竹家が所持している「三十六歌仙絵巻」が一堂に揃っての展示(全部は揃わなかったらしいですが)。佐竹本だけではなく、それに関連する展示もあって、見ごたえ十分。

 長い絵巻だったのが、ひとつひとつ歌人ごとに切断されて、軸装を施してあります。佐竹本の展示に入ったとき、紀貫之だったか、源重之だったか、その額装を観たとき、涙が溢れてきました。ああ、なんて美しいんだろう。額装が美しいのです。薄い緑色と薄いブルーがとても印象的で、その色に圧倒されたのかもしれません。

 絵も額装もひとつとして同じものはなく、たしか公任のものは背中が描いてあったような。なんだか頭が真っ白になって、ぼわーっとした状態で眺めたので、あとで図録を買って、しっかりと復讐しよう、と思ったのですが、なんと図録が売り切れて、郵送注文。十二月末にしか届かないけど、ま、いいか。

 最終日だから、二時間待ちくらいを予想していたのですが、待ち時間ゼロで入れて、スムースに流れていきます。前の人がじっくり観ておられて、流れが遅かったのですが、それもまた芸術を愛する人がこんなにたくさんおいでなんだなあ、と感慨深いものがありました。

 前日からの濃い時間に疲れ果て、早めに次女のマンションへ。そして、ゆっくりと過ごせると思いきや、るい君ゲーム機取り上げ事件、れなたん嘔吐事件、と続きます。

 れなたんが保育園で嘔吐したという知らせで、買い物中のきみこばあばに呼び出しがかかり、行ってみると、ぐったりのれなたん。タクシーに乗せて帰ります。熱発の予感あり。はちみつレモンを作って飲ませると、よく飲んでくれます。お水もたっぷりと飲ませて、おしっこもいっぱい出て、何とか高熱に至らずに、元気です。

 夕方、大根と牛スジを煮込んでいると(るい君が牛スジ大好きなので)、「食べたい」とれなたん。よく煮えた大根を食べさて上げたら「めちゃめちゃ美味しい」と大絶賛。嘔吐は食べすぎじゃないか、というくらいに、朝食をよく食べ、給食もお替わりしたそうで、食欲旺盛なれなたん。

 結局、一緒に煮込んだ卵も食べて、おかゆも食べて、さらに果物をいっぱい食べて、いつも通りの食欲。お風呂にもママと入りました。でも、今日は大事をとって、おばあちゃんとゆっくり過ごします。

 わたしがこうしてブログを書いたり、昨夜、夜中に仕上げた「月の舟通信」の巻頭言を書き直したり、仕事をしている横で、お人形遊びをしています。静かに、ゴロゴロしながら。

 わたしは、朝食を作り、娘のお弁当を作り、洗濯をし、食器のあとかたづけをしてから、お香を焚いて、IPADで辻井さんのピアノ画像をかけて、パソコンに向かって仕事します。

 このスタイルは、娘たちが小さいときにやっていたこと。孫育てでまた繰り返しているってことは、このスタイルが性に合っているのかな。子育ても仕事も、と欲張って生きてきましたけど、それでいいんだな。

 20世紀は、役割分担意識が強くて、男性が外で働き、女性が家事・育児をするというスタイルが主流でした。でも、いまはひとりの人間が、仕事も家事も育児も、という時代。役割分担の方が効率的ではありますが、個人の能力を活かしきれない、という難点があります。人間が全人的に自立できない、という欠点もあります。

 わたしは、仕事も家事も育児も全人的にしっかりやることが、本当に大事だと思っています。そのための時間配分というのも大事になってくるでしょう。仕事ばかりだと、家事・育児の時間が取れませんからね。家庭に午後6時には帰ってくるスタイルが、とにかく確立されたらいいですね。

 孫育てにでしゃばって参加していると、子どもを育てるとは、なんて人を成長させるのだろうか、と感動します。道をはずれそうになったときに、必死で「こっちだよ」と声をかける。子どもはともかく暴走しますからね。毎日、暴走族とつきあっているようなものです。規則正しい生活をする。愛を降り注ぐとは、甘やかすことではないですね。大切なことを繰り返し子育ては教えてくれます。

 まずは大人が自立していること。しっかりと稼ぎ、この子を育てるんだ、しっかりと自立させるんだ、という意識を持つこと。両親が協力すること。

 れなたんは、ひとり静かに遊んでいます。ときどき外を眺めたりして。そんなときは、声をかけずに、静かに見守ります。子どもは「見守られている」と思うとき、とっても落ち着くようです。

 さ、明日は鹿児島に帰ります。その足で、山崎文乃さんのピアノリサイタルへ。「月の舟通信」の発送を終わらせて、いくつかの打ち合わせをすませて、いよいよ12月1日は上棟式。その準備もしっかりしないと。お弁当の手配。お餅、小銭。そうそう、わたしは施主なので屋根に登りますから、ちょっとは痩せておくかな(笑)。

 今夜は、蕪のクリームシチューにしましょうかね。れなたんが外に出られそうだったら、一緒にお買い物に行けるかな。

 皆様も、素敵な時間をお過ごしください。明日は新月ですよ。新しいスタートです。
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2019年11月23日

自分を生きるレッスンその589 奉仕する

 昨日から東京。午前6時半に家を出て、11時半に親友のローリーさんと待ち合わせ。早稲田のフレンチレストランでランチをしました。約2時間、しゃべり続けました。本当は、別の方とのランチの約束だったのですが、ご都合が悪くなり、キャンセルで、24日に約束しつつも、なかなか待ち合わせの場所が決まらなかったローリーさんと、これまた急に会うことになりました。

 今回の東京行きは、いろいろと迷うことが多くて、スケジュールがスパッと決まらなかったのですが、最後の最後で、あらら、というくらいにすんなりと予定が決まりました。

 不思議ですね。すべてはうまくいっている。何も心配することはない。あまり、いじりすぎると、かえって混乱するというもの。ときには、運命の流れに沿って、ゆらゆらとしていたら、良い方向に行くものですね。本当に不思議です。

 ローリーさんの優しさには本当に、いつも胸打たれます。まず、彼女の口から愚痴というものを聴いたことがない。悪口も聴いたことがない。悩み相談というのも皆無。いつも静かに新鮮な情熱をもって、毎日を暮らしている。そんな感じです。静かに新しい挑戦をしている。

 わたしの娘たちとも仲良しなので、いつも気にかけてくれます。ローリーさん曰く、あなたの娘たちは、きみこという母親をもってラッキーウーマンだわ。

 いつもそんな風にして、優しく褒めてくれます。素晴らしいな。素敵なお友達をもって、ありがたいなあ。来年の「きりしま月の舟」のトークもお願いしたら、快く引き受けてくれました。

 ローリーさんと別れて、雨の早稲田を高田馬場まで出て、長女のところに向かいます。お婿さんのお母様もいらしていて、しばらく歓談。このお母様がまた、素晴らしい。風邪をひいた孫と嫁のために、いっぱい栄養のある食べ物を用意してくださっています。感動します。いつもそうなんですよね。ありがたいなあ。長女は幸せ者ですね。わたしが到着したところで、お母様と交代。

 で、この長女一家、風邪で全滅ですわ。お婿さんだけが何とか仕事に出かけている。東京は人が多いので、咳き込む人も多くて、わたしはそんな危険ゾーンを避けて歩いていたのですが、もはや逃れられません。何しろ、孫たち、発熱ですから。おでこをさわると、熱い。

 で、覚悟を決めて、よーーーし、きみちゃんおばあちゃんが風邪を退散したるでーーーーー。とばかりに、孫たちに接近し、ソファの真ん中に座って、左にショウリ君、右に奏斗君を抱いて、それぞれの足を揉んであげます。すると、歓んで、とろけんばかりのお顔になります。手足が冷えていますからね。血行をよくしてあげて、いっぱいお水を飲ませて、おしっこを出させてあげる。その繰り返し。

 その間に、娘はマッサージに出かけて、気分爽快になった模様。お婿さんのお母様が作り置きしてくださったお鍋にうどんとお豆腐を入れて、孫たちに食べさせます。少しですが、食べてくれました。

 手足を拭いてあげて、歯磨きをして、寝かしつけます。そこでも、わたしのおなかにふたりとも足をのせて、「揉んで」コール。おお、いいよ。そのうちに、ショウリ君、爆睡。奏斗君もマッサージから帰ってきたママと一緒に爆睡。

 人が喜ぶ、というのは、本当に嬉しいものです。わたしが愛読するメルマガで孫正人先生のコラムが大好きなのですが、そこで語られるのは「人類に奉仕する」姿勢。人類のために、どうぞわたしのこの身体をお使いください、という気持ちで、仕事や家事をする。

 なんて素敵な考え方でしょうか。他人に勝つとか、損をしないとか、そんな感情ではなく、「奉仕する」という姿勢はいいですね。わたしの文学講座も「奉仕」だと思います。豊かな気持ちになる。人間の普遍的な真理を知る。これからも、その路線を強化します。

11月18日から、「きりしま月の舟」の大工工事が本格的に始まり、水道屋さん、防蟻屋さん、足場を組む方など、たくさんの方が「きりしま月の舟」のためにお仕事をしてくださいます。

 わたしもユタカ君も、大工さんたちのために、お茶の準備をします。完全オフの19日は、お豆腐白玉団子を作ってみました。少し生クリームを入れてみたりして、自分なりのアレンジを加えたら、美味しいのなんの。「きょうの料理」11月号に出ていたレシピを応用しただけなのですが、我ながら、良い出来。大工さんたちもとても美味しいとたくさん食べてくださいました。

 お昼ごはんも、わたしがいるときだけ、という前提で、どうせユタカ君とわたしのふたり分を作るのだから、大工さんふたりと合わせて4人分は大したことない、と作りました。水曜日、金曜日はわたしたち夫婦のほかに「万葉集」の受講生の方とか合唱クラスの又吉先生&麗華先生にお弁当を作っていきます。特に大したものはないのですが、そのときのありあわせで作ると、皆様、とても美味しいと言ってくださるので、ついつい調子に乗るわたしたちです。

 19日のお昼ごはんのメニューは、桜エビときのこの炊き込みご飯、おぼろ豆腐、お味噌汁、ユタカ君のひとくちカツ。キャベツと人参のサラダ。アシスタント大工さんの桑原さんは、炊き込みご飯を3杯、お替わりしてくれました。若い人ががっつりと食べてくださるのは、嬉しいですね。

 18日も、伊作へ百人一首の講義に出かけたのですが、そこに同行してくださった若いN子先生も、わたしが「なんでも食べて、今日のお礼に奢りますよ」と言ったら、「がっつりと食べたい」とおっしゃって、もりもりと食べて、元気よくおしゃべりをして、こちらまで元気が出ました。

 これだから、若い人って大好き。わたしのお孫ちゃんたちもわたしの料理をよく食べてくれます。うちのユタカ君も美味しいといつも言ってくれますし、最近の彼は、かなりのお料理上手になっていますので、わたしも彼の美味しいものをしっかりといただきます。

 こうして、建設現場から愛の交歓をたっぷりとかわし、「きりしま月の舟」を癒しの場にしよう。

 さあて、今日は午後から学会に参加。今回は3学会合同国際研究集会ということで、大々的に開催されます。とても楽しみです。基調講演が、あの人気作家さんですしね。

 わたしは、大学に勤務はしなかったし、フリーで仕事をしてきて、いわゆる研究職に括られないのですが、学会にはよく参加し、また勉強を怠らないようにしています。20年以上、非常勤講師を勤める短大でも、毎年同じ講義にはしない、中身を毎年バージョンアップしてきましたしね。

 先日も、ある大家の先生に「あの方は、研究職でもないのに、よく勉強しておいでですね」というわたしへの褒め言葉を伝え聞いて、とても嬉しくなりました。古典の分野でも、ジャンルにこだわらず、与えられた仕事や自分で企画した仕事に全力で取り組んできた、という自信はあります。

 もちろん、まだまだ未熟で、勉強するべき分野は山ほどあるのですが、ほんとよく頑張って、世の中に奉仕していると自分でも思う。勉強でも孫のお世話でも、料理でもなんでも。それが苦でもなんでもないし。奉仕している、という仰々しい気持ちでもなく、ただただ楽しいからやっているだけですけどね。

 わたしたちはよく自分の才能の発露を環境のせいにしていきますが、自分の本質を見極める、というのがどれだけ大切か、最近、深く納得させられています。自分で自分の才能を発見し、それを伸ばしていかないといけない。自分を見つめることが、どれだけ大切か。

 わたしは、おそらく勘がいい。作品を読むときも、人とは違う面白い読みができる。常識にとらわれない読み。そこにわたしの才能というか個性があるのだと思う。そして、たゆみなく努力することも得意。

 だから、いまこうして、文学の分野で勉強を続けることが性に合っている。ありがたいなあ、と思います。さらに、ユタカ君という伴侶を得て、いつも文学の話ができるというしあわせ。娘たちがそれぞれきちんと自立し、それぞれの分野で努力し、孫にも恵まれて、これまた最高のしあわせ。健康であるのも、最高のしあわせ。

 すべてに感謝します。これからも「奉仕する」気持ちで、楽しく、わくわくしながら、人生を歩んでいきます。

 わが孫たちも、だいぶ元気になった朝、おやつのドーナツをもりもり食べましたよ。
 皆様も、素敵な秋の週末をお過ごしくださいね。
posted by kimiko at 09:59| Comment(0) | 日記