2018年12月30日

自分を生きるレッスンその435 ひとりの時間

 よく一年を振り返る、と言いますが、わたしは振り返りません。過去というものを考えることも嫌ですね。5分前のこともあまり考えたくはない。きっとそれは、過去のトラウマとか、許せないこととかがないからでしょう。憎しみ、怒り、そういったものを全部クリアしているかどうかはわかりませんが、「なぜ、あの人はわたしを理解してくれないのか」といったジレンマはもうないですね。

 自由業のおかげで、嫌な上司もいないし、夫であり親友でもあり同僚でもあるユタカ君はいつも優しく、仕事も有能だし、月の舟の先生方も皆さん優秀で、人柄も抜群で、勉強になることばかり。会員さんも皆様優しく、「いつもありがとうございます」とわたしたち夫婦をねぎらってくださいます。こちらが感謝することばかり。熱心に受講していただいて、本当にありがたいです。

 特に、チームきよらの若者たちは、本当に素敵で、ほっこりとなります。彼らといい仕事をしていくぞ、と張り切りたくなります。才能ある若者っていいなあ。とことん、やったるで。来年もいくつか仕事が決まっています。ほんとに大好き、みんな。

 わたしの頭にあるのは、未来のことばかり。不安はあまりないですね。老後、という気分にならないように自分を仕向けているので、気持ちはつねに29歳。永遠の29歳。あと2年もすれば、末娘より若くなります(笑)29歳というのは、若くもなく、かといって30歳という大台に乗っていないので、若さぎりぎりのところ、しかも、自分が結婚した年齢でもあるので、つねに初心に帰れるライン。

 わたしが生きる基本は、生涯現役、成長し続ける、学び続ける、おしゃれする、新鮮で柔軟な考え方をする。家族を大切にする。仲間を大切にする。霧島に自宅も建てたし、来年は「きりしま月の舟」が完成する予定なので、住むところと仕事の場所も確保して、あとは健康で長生きしていけば、何とかなる。何かあっても、そのときに対処すればよろし。

 今日のるい君もときどきワルで、ときどきおりこうさん。「家族のなかで、おばあちゃんがいちばん嫌い」と言ったりしますが、「へええ、そんなこと考えてるんだ」とびっくりします。おばあちゃんも家族なんだね、ママとパパの方が好き、というのは健全でよろしい。できれば、霧島に転校してくれて、ユタカ君とふたりでるい君を育てたいと思っていた下心を読み取られたか?

 思い通りにいかない子育て、孫育て。子どもや孫は、大人のペットじゃないしね。他人の課題を奪ってはいけない、ってことだね。天の仕事を、人間ごときがやらせていただいてはいけない、ってことだね。天の仕事というのは、自分の範疇じゃない、自分の能力を超えたところにあるものを、自分が解決できる、というような傲慢な態度じゃいけないってことですね。ばばあは、自分のことだけやってろ、ってことですわ。孫育ては、天の仕事だよ。

 今日のるい君。まず、ひいおばあちゃんのところに行きました。わたしの母のところに出かけたのですが、どっちも歓んでくれて、何より。るい君は一足早いお年玉をもらって、ほくほくや。お正月は、霧島から伊集院までだと、我が家の前は、霧島神宮参拝の人で車が渋滞。ほぼ動かないくらいの渋滞なので、できるだけ車の移動は控えたい。行きは一時間でも、帰りは3時間ほどの可能性がありますからね。近道も教えてもらいましたが、元旦は霧島浸りで、実家詣りはここ3年ほどしていませんねえ。母も特に寂しがらないし、兄や弟の家族がいるし、年末は甥っ子やいとこが母のところに寄ってくれたので、嫁に出たわたしがしゃしゃり出るほどのことはありませんわ。いつも通り、わがまま勝手にしていた方が良いようです。

 その後、月の舟に寄って、やり残した作業を終えて、月の舟通信約300通を発送。元旦に着いてくれるといいけど。それから天文館でトマトラーメンを食べて、るい君とユタカ君は桜島へ。わたしはお正月用の買い物をして、ついでにお洋服を買って(ウヒヒ、3割引きでしたわ)、本もいっぱい買って、列車でひとり霧島に帰りました。荷物が引きずるほど重かった。

 でも、霧島の家に帰り着くと、ああ、ひとりの時間だね、という解放感でいっぱい。こういう時間って大事。ひとり温泉に行き、さっぱりして帰ってきたら、お香を焚いて、CDをかけて、頂き物の日本酒をお燗にして、お正月用に買ってきた「野沢菜わさび漬け」を肴に、ひとりで晩酌。ああ、いい気分。最高。そして、買ってきた本を読みます。ぐいぐい読める。途中、顔にパックをして、乾燥しないようにして、超リラックスタイム。

 ユタカ君とふたりだと、あまり気を遣わないので、毎晩、わたしもやりたいようにやっておりますが、るい君がいると、「歯磨きした?」などと言う回数が多くなり、教育的配慮が必要なので、集中して読書という環境ではなくなりますな。

 ひとりの時間に考えました。ああ、しあわせだなあ、と。すべてがしあわせ。ありがたい。感謝だらけ。すべて、これでいいのだ。孫がいることも、仕事があることも、善き仲間に恵まれていることも、言葉の力を信じていることも、ユタカ君がいることも、母が元気でいることも、きょうだい仲良くできていることも、全部、しあわせ。信頼と善き仲間があれば、それで良し。

 やはり、わたしは読書する時間がとっても好きなんだな。ここ3日間くらいお掃除とか、るい君のお世話とかが中心で、読書の時間がなかったので、今日買ってきた本をむさぼるように読みました。アドラー心理学の「嫌われる勇気」という本は、なかなか良かった。一気に読みました。

 温泉に浸かりながら、また読書しながら考えたのは、「わたしって、対話式の授業がしたいんだな」「わたしって、詩が好きなんだな」とか、いろんなことがピキンをわかってきます。こういう気づきの時間が大切です。

 るい君とユタカ君はたっぷりと桜島で遊んで、午後8時ごろ帰ってきました。るい君が帰ってくるとまた、かわいくって、かわいくって、食べたくなるくらい。おばあちゃん、嫌い、と言われたのに、おばあちゃんはるい君が大好きだもんね。「ざんねんな生き物事典」を買ってあげていたら、とっても歓んで、ずっと読んでいました。全部声に出して読み、途中、質問攻めにします。たとえば、「おばあちゃん、肛門って何?」という感じで、「お尻の穴のことだよ」と言うと、「ふーーん、そうなんだ」と言って、また声に出して読み続けます。で、自分の読書の時間は中断。

 それもまた良し。自分より年下の人間こそが、自分より前を行っている、というアドラー博士の言い分も理解できます。わたしは、いつも若者や子どもから教えてもらっていますしね。時代はどんどん良くなっている、と信じています。今どきの若者は、とっても優しくて、気が利いているじゃないですか。平和でええよ。

 さて、今日も善き一日。素敵な一日をありがとうございます。明日は、キッチンと寝室の掃除。おせち料理の準備。

 すべてに心から感謝して、明日に備えます。
 
 皆様も、素敵な大みそかをお迎えください。
posted by kimiko at 22:59| Comment(0) | 日記

2018年12月29日

自分を生きるレッスンその434 自己肯定感

 孫のるい君が霧島の我が家にやってきて5日目。一日目の25日は、霧島神宮駅前の焼肉「まる金」へ行き、焼肉をお腹いっぱい食べて、それから温泉へ。るい君はかなり温泉好きになっている模様。早めに寝ました。2日目の26日は、月の舟@新屋敷へ行き、「きりしま月の舟」の設計打ち合わせに同席。打ち合わせが終わったら、おじいちゃんと水族館へ。おばあちゃんは仕事。霧島までの帰り道、姶良のイオンに寄って、下着、靴下、パジャマなどを買って、インドカレーを食べて帰りました。その帰りに、またまた温泉へ。

 3日目の27日は、おばあちゃんと鹿児島中央駅まで電車に乗って、アミュプラザの映画館ミッテ10へ。「シュガー・ラッシュ」を観ました。やはりデイズニー映画は凄いね。よくできてる。60歳以上のシニアのわたしも感激しました。るい君も楽しかったみたい。友情って、奥深いね。もう還暦過ぎのおばさんは、「仲間」とか「友情」とか叫ぶ年齢ではないけど、子どもにとって友情が一番の関心事なんだろうな。

 霧島に帰ってから、すぐにおじいちゃんと庭仕事。るい君はおじいちゃんが大好き。おばあちゃんよりも好きみたい。4日目の昨日は、おじいちゃんのお仕事をお手伝いするために月の舟へおじいちゃんと一緒に出掛けました。もうおばあちゃんと寝ることもないし、お風呂も入らない。小学3年生だものね。

 ユタカ君は、「おじいさま、おばあさま、と呼びなさい」とるい君に言います。しかし、るい君は恥ずかしがって、言いません。わたしが「きみちゃん、って呼んでいいよ」と言っても「ムリ!」と即答。「おばあちゃんか、ばあばかどっちかにして」とるい君が言うので、「じゃあ、ばあばだね」と答えつつも、うーん、わたしとしては、孫たちに「きみちゃん」と呼んでもらいたいのだけどね。だって、若い人に「きみちゃん」と言ってもらうと、気持ちが若返るような気がするのですもの。

 もう来年は小学4年生。とっても大事な時期です。ここで勉強する癖をつけないといけません。もともとるい君は本が大好きで、わたしが買ってあげた「バムとケロ」シリーズは、今でもるい君の宝物のようです。ユタカ君もわたしも、知的生産の方向へとるい君を促します。昨夜は、おじいさまが絵本を読んであげてました。ユタカ君の絵本読みは、とってもうまいので、るい君はすやすやと眠ることができたようです。もう、そろそろ自分で本を選んで、自発的に読んでいく時期なので、その背中を押してあげたいですね。

 祖母という立場になってはじめて、子どもとの接し方、人生の在り方みたいなものがわかってきましたから、孫の成長を祖母の立場で応援します。やはり子育ての中心は<親>ですから、後方部隊で応援です。わたしが親の時代は、30代、40代はほんとに自分のことしか考えなくて、仕事ばかりで家事もほったらかし、学校に持っていくものの準備もろくにしてあげなかったし、お弁当もインスタ映えするようなものは作れなかったし、子どもに目が行き届いていなかったし、未熟な親で、本当に穴があったら入りたいくらい。

 だから、親である人たちに説教する資格なんて少しもないけど、60年を生きた経験は、生きることに何が大事かをわたしの身体に叩き込んでくれて、特に、知的生産の分野では一応プロなので、祖父母としてよりは、ひとりの人間として孫に知的であることの大切さ、その方法を伝授していきたい、と思います。知的生産はいつもユタカ君と二人三脚なので、またタッグを組んで、孫バージョン知的生産の技術の伝授と行きましょう。

 まず、言葉は大事です。そのことをるい君と一緒に過ごしていると、痛感します。わたしの仕事でもある「ことば」。斎藤ひとりさんがおっしゃるように天国言葉を使いましょう。「ありがとう」「おいしいね」「きれいだね」「すごいね」「えらいね」を連発すること。一日に100回は繰り返すこと。身体をストレッチするみたいに、素敵な言葉を発信し続ける。照れないで、恥ずかしがらないで。

 今朝も、るい君が「おばあちゃんのごはん、まずいし」と言うので、ユタカ君とふたり、「そんなことを言うものではない。食堂でも家でも、食べ物を大切に頂きなさい」と静かに話したら、「わかった」ととても素直に返事しました。むしろ、こんな風に叱られることを待っていたかのように。

 子どもたちは、見守られている、という感覚をとても欲します。大人がていねいに教えてくれることも待っています。

 子育てのときも、孫育てでも、もちろん自分育てでも、一番大事なのは、自己肯定感をたっぷりと育むことではないでしょうか。理想の人間像に人を当てはめるのではなく、その人がその人らしくあるようにお手伝いしていく。応援していく。ここが足りない、とかではなく、矯正ではもっとなくて、ただただ応援する。エンパワーする。ちゃんと見守ってるよ、というサインを送る。

 その自己肯定感という言葉が先走りしているからか、子どもを叱ることに憶病になっている大人が多いですね。他人を否定することに敏感なあまり、嫌われないように大人がびくびくしている。自己肯定感というのは、もっとしたたかで、ゆるぎないものだから、ものすごく強い愛でしか、自己肯定感は生まれません。自己肯定感を教えるのであれば、孤独に強い人間にならないといけないな、と自戒を込めて思います。

 そう考えると、わたしがるい君に見せられる生き方は、自己肯定感に溢れた人間像。それは、否定されても批判されても、そのたびに立ち上がる勇気のある、孤独に強い大人になること。

 ユタカ君は、人間の力なんて、ほんの少しの差だ、と言います。本当にそうですね。人間がもともと持っている能力は、そう大差ない。じゃあ、どうして幸せな人と不幸な人に分類されてしまうかというと、自分の人生をあきらめない、というしつこさなんじゃないかな。

 そのしつこさは、自己肯定感の深さと連動します。それは孤独に強い、ということでもあるでしょう。他人にどう批判されようと、「あ、そうですかあ」とさりげなくスルーできるようになったらいいなあ。ユタカ君は強い人なので、それが結構できているけど、わたしはまだまだ。

 でも、わたしは、努力が大好きで、努力する才能がある、と思っています。ちょっと傲慢な言い方ですけど、本当にそう思うのです。どんなときも、人生を諦めない。仕事もじゃんじゃん工夫する。失敗しても、どんどん次に行く。しつこい奴だ、と自分でも思います。工夫して一歩進み、さらに工夫して2歩進む。そこがわたしの自信の源です。

 規則正しい生活。徹底して行動に移す。「きりしま月の舟」も普通の人だったら絵に描いた餅にするのでしょうが、わたしの場合、いろいろ工夫して、笑いながら、楽しみながら、「そんなことをしていいんですか?」と突っ込む方々に、「わたしって、バカでわがままだから、やりたいようにやるしかないですしね」という顔をして颯爽と行動します。

 考えすぎないで、さっと行動する。実行に移す。自分の直感を信じる。妄想を実現する。それこそ自己肯定感に浸る。単なる浮ついた自慢話のついでの自信ではなくて、自分を心底信じていけるか、愛していけるか、大切にできるか、ということなのでしょう。

 自己肯定感の低い人は、他人の悪口を言ったり、自分のようになりなさい、という無理難題をふっかけたりするのでしょう。他人が気になってしょうがない。自分がコントロールできない人間が目障りでしょうがなかったりするのでしょうね。他人が悪い、と思っているうちは、自己肯定感が低いってことですね。

 るい君とともに過ごしているからこそ、自己肯定感という課題を深く考えることができます。若いっていいねえ。孫はかわいすぎます。愛情のてんこ盛りができますわ。わたしたちの愛をものすごい勢いで吸収してくれますしね。

 さて、今日は、霧島市永水の百笑館で午前10時からはじまる餅つき大会を見学しに、るい君とユタカ君の3人で出かけました。ますの姿焼き、猪鍋、お茶、おそばなどの販売、ぜんざいの振る舞いがあったりして、とっても楽しかった。るい君も愉しんでいました。永水地区のおじさん、おばさんの元気なこと。底力を感じました。

 帰りは、高千穂牧場に寄って、ヒツジと戯れたり、アラミニッツのシュークリームを買って、我が家でお昼ご飯。そうしているうちに、午後1時になって、会員のMさん、Kさんがいらして、本の出版の話。充実したお話ができました。昨日も、合唱の又吉先生のご両親が鹿児島旅行のついでに霧島の我が家に立ち寄ってくださって、あたたかいひとときを過ごしました。これも月の舟を運営しているからこその人と人のつながりで、ありがたいことだなあ、と感激しています。仕事と人が愛でつながっている、って感じ。

 わたしって最高、わたしって天才、凄い!と連発して、るい君に良い生き様を見せてあげましょう。それがるい君の生きる勇気になるように。

 さあ、今年もあと3日。大掃除もだいぶできています。今年ほど忙しい年末はなかったな。と、毎年言っているような気もしますが、あとは月の舟通信新年号を発送して、きみこ流おせち料理を完成させて、母のところに挨拶に行ったら、ゆっくりと年越しそばを食べましょうぞ。

 皆様も良いお年をお迎えください。
posted by kimiko at 16:41| Comment(0) | 日記

2018年12月24日

自分を生きるレッスンその433 新しいはじまりの日

 先週も怒涛の一週間。17日、祖母の祥月命日ということで、母のところへ。お昼を一緒にいただく。18日、午前が鹿児島県立短大の講義、午後が月の舟で西南戦争の講義。夕方、鹿児島大学でワークショップ。19日、月の舟で2講座のあと、「きりしま月の舟」打ち合わせ。20日、午前が百人一首、午後が源氏物語きよらクラス。21日、合唱クラス、午後ピアノレッスン、22日、ピアノ教室発表会。夜、映画「ボヘミアン・ラプソデイ」鑑賞。23日、伊集院クリスマスコンサート、母のところへ。

 17日、母のところから帰り、100人超の県立短大の学生さんのレポートにコメントを書く。4時間以上かかりましたわ。でも、若い人とつきあうのは本当に楽しい。感想文が楽しくってしょうがない。量が半端ないので、途中でくじけそうになるけど、何とか終わる。授業の段取りも終えて、さあて、寝るぞ、といったん寝ました。

 ところが、午前2時におトイレで目が覚めてからというもの、眠れないのなんの。結局、午前6時まで眠れなくて、途中、「きみこちゃん、きみこちゃん」とわたしを呼ぶ母の声が聞こえたりして。しょうがないので、そのまま起きて、朝食、出かける準備。早めに県立短大に着いて、講座の準備をし、何とかその日を乗り切りました。鹿児島大学のワークショップは、全部英語だったので、これまた普段使わない脳が活性化され、労力が必要だったので、ついウトウトと。

 眠れなかった理由が、その後判明。木曜日の源氏物語きよらクラスの受講生Sさんが、「この間ね、きみこ先生の夢を見たの」と講座の時間より早めにいらして、その話をされました。

 きみこ先生がね、わたしの家にいらしたの。それでね、わたしのタンスにある紫のドレス、とても素敵ね、とおっしゃってね、それから、じゃらじゃらしたネックレスも素敵ね、とおっしゃってね、「あ、これはお友達のHさんに差し上げるものだから、だめなの」と言ったりしてね。それから、ふたりで出かけるの。桜島の見えるところで、錦江湾を渡ってね。それもわたしたち、海の上を歩いているのよ。すごいでしょ。そして、桜島の頂上にあがったら、パルテノン神殿みたいなのが建っていて、きみこ先生がそこに案内されたのよ。それで夢はおしまいなんですけどね。

 月曜日の夜、というか、火曜日の早朝、眠れなかったわたしはSさんの夢に出演中だった模様。桜島の頂上にあるパルテノン神殿みたいな建物は、わたしがいま企画している「きりしま月の舟」のことではないでしょうか。来年末、あるいは2020年には「きりしま月の舟」が稼働できるように、鋭意準備中。そのうちに、きちっと発表しますけど、今日は、冬至明けの満月の日なので、新しいはじまりの日ですから、その計画を皆様とシェアしますね。うちの自宅横に20坪ほどの「きりしま月の舟」がそのうちにできますよ。素敵な設計士さんにも出会えて、幸先の良いスタートを切っています。素敵な空間にしていきますね。鹿児島市内での文学講座もずっと続けていきます。鹿児島市内と霧島で大いに動き回ります。いえいえ、もっと世界を広げていきますよ。わたしの仕事場は、地球全体。

 わたしの夢は、死ぬまで仕事を続けること。わたしの仕事の基本は、文学講座。かごしまの文学、源氏物語、百人一首、古典から現代文学までをやさしく噛み砕いて、「ことば」の美しさ、大切さ、「沈黙」の重要性、自分と向き合うこと、自分を磨くこと、言葉を磨くことを伝えていきたいです。イベントを企画して、ことばと音楽と芸術が融合する、あったかくて深くて愛と笑いと癒しのいっぱい詰まった時間を提供します。

 その実現の場が、自宅横にもできると、また活動しやすいし、これからどんどん年を取っていくわたしたち夫婦にとって、霧島にベースがあると、死ぬまで仕事が続けられますからね。カフェスペースも作りますから、霧島の美しい自然のなかで、ゆったりした時間をたくさんの方に過ごしていただきたいものです。
 
 この世に生を受けてから30年、両親の慈悲深い愛情で豊かに育ちました。30歳で結婚、出産して、3人の子どもの子育てを頑張りました。仕事との両立も何とか乗り切って、娘たちはそれぞれ結婚、仕事と頑張って、忙しいながらもしあわせな人生を送っているようです。娘たちに感謝です。60代の大台に乗り、これから90歳までの30年間を見据えています。90歳まで元気に明るく仕事がしたい。みんなと仲良く暮らしたい。わたしのしあわせが世界のしあわせでありますように。孫の世代が平和でありますように、孫育てもしたいなあ。いっぱい絵本を読んであげて、たっぷりの愛情を降り注いで。旅もいっぱいしていきます。

 わたしは、一ダースほどの子どもが欲しい、とつねづね言ってきました。実際の子どもは娘3人ですが、わたしの子ども世代の若者たちと一緒に仕事ができて、またその方々が素晴らしくて、善き仲間になってくれているので、一ダースの子どもがいるような感じです。元アシスタントのかなちゃん、眞子ちゃん、自然農の高緑君、飛雄馬君たちも自分の子どもみたいですしね。孫たちもまた、自分が産んだような気になってるし。12人は優に超えています。

 教えること、育てることが、きっと好きなんでしょうね。非常勤講師をしている短大とか大学の教え子さんたちとの交流もわくわくします。

 何よりも、人間が大好き。月の舟の会員さん、先生方、本当に素敵な仲間に恵まれています。家族にも恵まれて、しあわせいっぱいです。母も89歳と高齢ながら、元気でよく頑張ってくれています。全く介護が必要ない高齢者というのは、ほんと奇跡です。ありがとう、かあちゃん。口が悪いのが、たまに傷だけどね。それがまた元気の源みたいだから、しょうがないな。言われておきましょ、「何、その格好?何、その髪型?」今日もまた。

 昨日は、麗華先生のピアノ教室の発表会。わたしも生徒ですので、ピアノ演奏をしましたよ。シューベルトの即興曲、作品90の2。簡単そうで、一音外すと、汚い音になって、昨年の「悲愴」第3楽章も苦労しましたが、今年も音取りは早くにできていたのに、ノーミスで弾けない。悔しい。暗譜したつもりが、途中で頭が真っ白になって、「あら?わたし、どこ弾いてるの?」となって、本番は夢の中で弾いているような感じでした。まあ、何とか演奏しましたが、他人様を感動させるレベルではないな。

 たとえて言えば、走り高跳びで1メートル20センチくらいしか跳べないのに、2メートルの高さを跳ぼうとしているほどの無謀さで曲選びをしているのかもしれません。昨年の「悲愴」第3楽章は、「月光」第3楽章が成功したことに気分を良くして、挑戦してみましたが、いやあ、これはなかなかの難物でございました。今年の発表会で、中学一年の女の子が「悲愴」第3楽章を弾いていたのは、わたしの影響?あのおばさんが弾いているのなら、わたしも、ということだと、嬉しいですけどね。中学一年のその子は、完璧に弾いておりました。

 で、今年は自分の手に負えるものを、と思って、「即興曲」にしたのですが、まあ、これまた難関でした。わたしって、ピアノの才能ないんだなあ。

 それにしても、麗華先生の模範演奏の「幻想即興曲」の素晴らしいこと!ああ、来年は、「幻想即興曲」だ、とまた凝りもせず思うわたし。麗華先生の弾く映画音楽特集で、ピアノを再開しよう、と決めたわたし。麗華先生の「篤姫」、「幻想曲さくらさくら」、わたしにも弾けると思って挑戦しますが、なかなかですな。一通りは弾けるのですけど、どうしてあんなに素敵に弾けないのでしょう。

 自分の仕事との関連を思うと、それは経験値の差、ということになるでしょう。わたしも毎日一冊の読書、一日10時間近くの勉強をしているからこそ、わかりやすい授業ができるというもの。麗華先生もピアノを弾く量、経験の大きさがあるわけです。

 やはり、どんなことも量をこなすことですね。今回、かなり練習したつもりですが、練習量が最終的に足りなかった。「よし」と思えるレベルまで達していなかったな。趣味だろうが仕事だろうが、とことんやることが大事だね。

 ピアノ発表会で、最高齢のわたし。新しい黒いドレスで演奏。発表会の最後に撮っていただいた写真をフェイスブックにアップしたら、「かわいい」「君は偉い」「挑戦って、楽しいよね」とのエールがいっぱい届いて、わたしの方がびっくりでした。ありがとうございます。皆様、人生100年時代に備えて、いろんなことを思っておいでなのですね。

 61歳でもやれるよ。何しろ、90歳までは仕事したいおばさんですからね。60代はまだまだ若い!発表会に出られたことで、わたし自身、元気が出ました。大仕事の乗り越え方も、「ここを乗り切る」というレベルの発見ができて、よかった。

 鹿児島県立短大の「鹿児島学」、3回の担当分も授業も終わり、「この授業を受けてよかった」という学生さんたちからの評価も頂き、まずまず。鹿児島の文学に関しては、かなり調べてきましたので、来年はきちんとまとめていきたいと思います。月の舟でも「かごしま文学紀行」と題して、毎週火曜日午後2時から3時まで、受講生の皆様と教室内で文学散歩をしていきます。ぜひ受講してくださいね。来年1月8日からです。他にも鹿児島学関連のお仕事をいくつか頂いて、やはり「地方の時代」なんだな、と思うことしきり。

 明日は、ユタカ君が孫のルイ君を迎えに京都まで行くので、わたしはどうやってクリスマス・イブを過ごそうかと思案しておりましたら、麗華先生とその仲間たちが、月の舟でクリスマスコンサートを開催してくださることになりました。午後2時から、子ども向けの60分、午後5時から大人の時間でドリンク付きの90分コンサート。ぜひ皆様お越しくださいね。昼の部1,000円、夜の部2,000円です。

 いま、霧島の自宅テラスから、今年最後の満月がよく見えます。ずいぶんと大きくて、わたしたち人間を励ましてくれるような月の光。わたしも人を鼓舞し、静かに励ます、愛の人でありたい、と月を眺めながら思います。

 まだ年末の大掃除もできていないし、この時期になってパソコンは壊れるし、メッセンジャーの不具合もあって、買いなおすものも続出。ルイ君を迎える準備もばっちしやって、月の舟通信も発送して、大掃除もして、新しい年を迎えましょ。

 今年一年、たくさんの美しい出会いがありましたことを、心から感謝いたします。まだ年内の日記アップが終わったわけではありませんが、まず第一回目のご挨拶。

 みんなで仲良く暮らす地球でありますように。
posted by kimiko at 00:47| Comment(0) | 日記