2018年10月24日

自分を生きるレッスンその425 心のなかの鬼を追い出す

 10月22日(月)のオフの日は、経営コンサルタントの高橋茂人先生が、霧島の我が家にお泊りくださって、夜遅くまでたくさんのお話をさせていただきました。お昼過ぎに霧島に着かれたので、まず「がまこう庵」へ行き、お蕎麦を食べました。やっぱり、がまこう庵、最高じゃ。先生もおいしい、と言ってくださいました。手作りこんにゃくなんかも買って、夜の飲み会に備えます。

 その後、都城ワイナリーに寄って、新酒のワインを買ったら、マスターが「お肉に合いますよ」とおっしゃるので、れんこんのクリーム煮への挑戦をやめて、甘辛い味噌味のブリ大根に変更。ブリはお肉ではないけれど、赤ワインとクリーム煮はあまり相性がよくなさそうだったし、がまこう庵で買ったこんにゃくも入れて、島ざらめとお味噌で味付けしてバッチシ。やっぱり、わたしの勘は当たって、ブリ大根と赤ワイン、なかなかの相性です。

 高千穂牧場で世界一美味しいソフトクリームを食べて、霧島神宮にお詣りをして、ユタカ君と先生は近辺を散策して、わたしは料理をしに帰り、それから、みんなで温泉に行きました。その間、ずっとしゃべりっぱなし。

 高橋先生の素晴らしいところは、立教ボーイでダンディなのに、人間が大好きで、合理的じゃないところ。「仕事は人生の一部だからね。仕事とか肩書きとかで勝負したってしょうがないよ。残るのは人脈だからね」とおっしゃいます。人生100年時代、仕事がバリバリできるのはせいぜい半分。愛する人を大事にしたり、家族を大事にしたり、趣味に勤しんだり、いろいろやることがあります。そして、人生のそれぞれのステージにおいて、変化していく必要もあります。

 わたしは欲張りなので、生涯現役。そのかわり、仕事一辺倒ではなく、孫の世話をしたり、温泉や晩酌を愉しみ、着付けやピアノ、バレエ、おしゃれにも忙しいし、旅もしたいし、わたしのスケジュールはいつだって分刻み。生まれてこの方、「ひま」という感覚を味わったことはないですな。いつも充実しています。ありがたいことです。

 高橋先生は、組織の資源、技術、マーケットは何かを考えなさい、と言われます。月の舟の資源は、みたけきみこ&ユタカ、わたしたちの豊富な人脈。技術は、文学講座で教えるノウハウ。読書の方法。文章の書き方。本物(名作)を探すセンス。資料の蓄積。人集めの極意。イベント企画のやり方。緻密な組織運営の方法。時間管理。マーケットは、愛と笑いと癒しを基本に、美しく豊かに生きたい人すべて。赤ちゃんから年配の方まですべて。

 高橋先生と話していて、ふっと気が付いたのは、子育てや家族を優先して、文学研究者として中途半端であることへの負い目が潜在意識のなかでくすぶっていること。先日、「みたけさんって、すごい文学少女なのよ」と紹介され、いやいや、わたし、文学の専門家ですから、と心のなかで反論したんですけど、ああ、世の中はそんな風にわたしを観ているんだな、とちょっとがっかり。

 これが大学教授だったりしたら、わたしの存在は<記号>としてわかりやすいのでしょうが、わたしの仕事の位置づけって、自分で選挙カーか何かで連呼しないとわかりにくいところがありますからね。わたしとしては、読書が人生の柱であり、自分のことを「ことばの専門家」と位置付けています(きっぱり!)

 文学研究者としては、「かごしまの文学」に関して自信あります。だから、鹿児島県立短大の「鹿児島学」「南九州の文学」の講義は、とっても張り切ります。そして、もっと鹿児島のためにお役に立ちたいな、と心から思います。源氏物語、百人一首、平家物語などの古典を講義できるのも、わたしの強みです。今回、大河ドラマに便乗して、西郷さんのことをいっぱい勉強できたのも、わたしの力になったし、ささやかながら鹿児島での西郷さん理解の架け橋になれたんじゃないか、と自負しています。まあ、何と言うか、勉強の仕方を知っている、どの本を読めばいいか、というのが直感でわかる強さがあると思っています。それは大学院で学んだことでしょう。

 ま、こんだけ独自な道を進んできたのだから、ここを極めるのみ。これからは霧島という自然豊かなエネルギーの高い土地で、わたしのイベント企画力、「ことばの専門家」としての力、直感力、美的センスが発揮されることでしょう。めちゃめちゃ楽しみです。

 子育てを優先して良かった。まだまだこれから孫と遊ぶ愉しみがあるし、ご近所の子どもたちのために何かできる予感がいっぱいだし、子育てのおかげで、わたし自身が成長し、学生さんや若い人とのおつきあいもスムースにできて、楽しい。若い人大好きだし。高橋先生が提案してくださった3年後の霧島シンポジウムや来年の尊敬している先生に依頼されたコンサートツアーもやりきる自信があります。

 子育てと言えば、先日、ラジオ人生相談を聴いていたら、何だか心の底からくつがえされるような意見に出会い、感動しました。18歳の息子さんの家庭内暴力に悩むお母さんの相談だったのですが、蹴られたり、唾を吐きかけられたり、という暴力を受けているとのことで、ラジオを聴きながら、心を痛めずにはいられませんでした。わたしの大好きな大原けい子先生(幼児教育研究)は、「お母さん、あなた、何かしたでしょ」と言われ、蹴る、という行為は、恐怖のあらわれだそうで、息子さんこそ、お母さんを怖がっている。そのとき母親は安心して自分を委ねる存在ではなく、大蛇なんだ、と。大蛇だから、怖くて、息子さんはお母さんを蹴るのだ、と。

 子育てでしてはいけないことは「正しさを強要すること」。やるべきことは、してはいけないことを身体を張って教えること。信頼して、まかせること。そんな結論で、相談者のお母様もどこかふっきれた声になっておられたようでした。

 わたしの母も、「正しいファッション」の在り方をつねに指南します。謙虚で清楚で気品高いファッション。いつも母のような服装をしろ、と言います。母にとって違和感のあるファッションは、すべてダメ。何なんでしょうね、この異常なこだわり。この夏、わたしより母のところに滞在してくれていた妹が、その正しいファッション理論の犠牲になっていたようですが、他人がされていても気持ちの良いものではないですね。これって、ほぼ「いじめ」じゃないのか?というくらいですわ。

 わたしはおしゃれが大好きですけど、何せ、スタイルに難があるので、カッコいい、という感じにはならないようです。でも、母のようなおばさん臭い、地味でパンチの効かないファッションは嫌だな。わたしのこだわりのネイル、大人気ですし、肌のお手入れは半端ないし、美容にかける時間とお金はかなりのものです。61歳でもおばさん臭くなったりしないその心意気に感動してくださる方も多い。その自信があるので、最近は母の意見も気にならなくなりました。あとは、バレエに復帰して、もっと痩せて、筋肉をつけていかないとね。

 それにしても、大原けい子先生の回答は、心から感動しました。それは「正しさの強要」を卒業したことを意味していたかもしれません。ああ、61歳にしてようやくですわ。母性というのは、力で押しつけるものではなくて、とことん相手を受け入れることですものね。この受容性こそ、大事だ、と思うこの頃。

 母性は女性だけの、しかも出産経験のある女性だけの特権ではありませんよ。男性にも母性はありますし、それは父性と同じように<役割>ですからね。父性中心の力の時代から、母性の受容の時代、女性性の柔らかさの時代へ。大きく変化していくときなのでしょうね。

 まず、自分自身をしっかりと受け入れる。わたし自身、もっと勉強しろ、と自分を追い詰めていたところがあったかもしれないなあ。自分のスタイルに難があると思っているから、ファッションを突っ込まれるんだなあ。いろいろ欠けていたり、壊れている自分、未熟な自分を、まず自分自身で優しく受け止めてあげなきゃ。

 許す、ということは、心のなかの鬼を追い出すことだ、とメルマガ「星のしずく」で、孫将人先生に教えて頂きました。心のなかの鬼がいなくなったかな?自分をいじめてないかな?

 そんなことをゆったりと考えられる霧島の朝。とても豊かな時間です。11月23日、24日は、この霧島のみたけさんちで、ブックカフェ、詩の朗読会&コンサート、お野菜、雑貨などのマルシェを開催します。ぜひ、いっぱいお越しくださいね。詳しいことはまたお知らせします。11月18日の秋の永吉ツアーも素敵ですよ。絶賛募集中。

 いつもブログを読んでくださって、ありがとうございます。元気な一日をお過ごしください。
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2018年10月22日

自分を生きるレッスンその424 わたしの薬箱

 毎日が濃密で、しあわせいっぱいな日々。ありがたくて感謝、感謝、感謝です。今日は久しぶりのオフ。秋の柔らかな朝の陽射しがさんさんと降り注ぐなかを、ユタカ君と美味しく朝食をいただきました。

 昨夜は「西郷どん」を観て、そのままバタンキュー状態。早く寝たので、午前5時には朝のまどろみのなかでいつものように美しい妄想に耽っておりました。この時間に、月の舟のイベントとか、大切なことのアイデアが次々と浮かんでくるのです。

 またうとうとする頃に、午前7時過ぎにはご近所の農業青年祐太君に頼んであったお米を届けに来てくださいました。ついでにお野菜もたっぷりと頂きました。それで元気がでて、朝からピザを焼き(といっても、市販のピザシートの上にソーセージとお野菜をのせてオーブンで焼くだけですけど)、とっても美味しくて、ユタカ君も歓んでくれました。

 疲れたときとか、心が折れたときの「薬箱」を用意しておいたらいいよ、と占い師の紫音先生が「星のしずく」というメルマガで教えてくださいましたが、わたしにとっての薬箱は、食べること、料理をすることです。買い物をするだけでも元気が出ます。とくに新しいレシピに挑戦するときは、とても心が躍ります。今朝のピザも新しいレシピというか、ピザとか作ったことがなかったので、とても心躍るレシピでした。

 今夜は、敬愛する経営コンサルタントの高橋先生が霧島までおいでくださるので、レンコンのクリーム煮というレシピに挑戦する予定です。「オレンジページ」と「きょうの料理」は熟読し、気に入ったレシピは切り取って「きみこの料理帖」ファイルにとじてあります。わたしが死んだあとも、この料理ファイルを見ると、わたしのレシピを思い出す方も多いかもしれません。

 文学の仕事では、来年一年かけて「かごしまの文学」についてまとめる予定ですし、源氏物語、百人一首ほかの講義録も整理しつつあります。かつて大学院の博士課程の試験問題を、過去5年分くらいの問題を全部解いて、模範回答集を作って、わたしは試験に臨んで、そのおかげさまで4人の受験生のうち、わたしだけが合格したという実績をもっております。その模範回答集は後輩たちの手を順々に巡り、お役に立った模様です。講義録も整理しておくと模範回答集みたいになって、誰でも講義ができるようなシステムを創っておこうと考えています。

 人間として生まれ、この世に生きて60年。そのなかでわかったことは、仕事においては量が命だ、ということ。天才と呼ばれる人は、凄い量をこなす天才だということ。たとえばピアノであれば、練習する回数、文学であれば、読んだ本の冊数、というように、仕事の質を決めるのは、もともとの才能というよりは、その量をどれだけたくさん楽しく(ここ大事、苦しくやったら逆効果)こなせるかどうか、なんだと思うのです。努力する才能を天才という。

 わたしはきっと外からは遊んでいるように見えるかもしれませんが、毎日一冊のノルマ、一日10時間の勉強(文学の授業&授業準備)を楽しくやることを心掛けています。それでもまだまだですね。まだまだ世の中には傑作がいっぱい存在して、その作品を味わい尽くすだけで一生が終わりそう。その味わいを吟味して、まだその作品を知らない読者の皆さまにお届けするという仕事は中途半端なまま。まだまだ頑張ります。

 生きることにおいては、環境に左右されない強さをもつことが大事だ、と思います。自分の夢の実現は、夢の具体性を自分のなかに描くことがまず第一歩で、外の環境に左右されていては、お金がないからできない、とか、才能がないからだめだ、もう年を取りすぎている、とあきらめてしまうところを、とにかく夢を自分の内側で描くことが何よりも優先されるのだと思います。

 思えば、わたしの人生は、夢を具体化することだけに費やされてきました。文学の勉強をいっぱいしたい。本を読むことが好き。子どもはたくさんほしい。夫となる人には、わたしを自由にてのひらで遊ばせてほしい。わたしが孫悟空で夫となる人はお釈迦さま。そんな夢をひとつひとつ実現してきました。

 本が好きな女は結婚も出産もできないと世間から言われ、結婚適齢期には「家庭に入りなさい」と言われても何のことやらかいもくわからず、いやいやしたお見合いもいっぱい断られて、自尊心がいっぱい傷ついてきました。わたしってそんなに変人かしら?と孤独でした。そんななかでも、理想の夫が見つかり、未熟な母であったわたしには手探りで試行錯誤であった子育ても、娘たちの方がしっかりしていたおかげで楽しい思い出がいっぱいで、そしていま娘たちはしっかりと自立して、わたしたち夫婦を大切にしてくれて、かわいい孫もできて、本当にありがたい限りです。

 さて、そんな幸福感に浸っている毎日ですが、特に先週の金曜日10月19日は、とっても不思議な日で、次々にいろんなことが起こりました。まず、合唱クラスが始まる午前11時に日本中を旅しておられる経営コンサルタントの高橋先生がひょっこりと月の舟に見えてびっくり。次の日から鹿児島で先生が指導されるマネージメントゲームの研修がおありで、霧島の我が家にもいらしていただくことは決まっていましたが、あらら、さすが先生。移転先の新屋敷にも自転車で颯爽と現れる74歳。先生もご一緒に合唱に加わっていただき、その後、合唱の又吉先生やピアノの麗華先生と、わたしの作ったお昼ご飯のお花畑カレー、さつまいものサラダほかを一緒に食べました。

 そして午後1時からは、イラストレーターの大寺聡さん、鹿児島大学教授の井原慶一郎先生、デザイナーの村山淳さんと、11月18日の「秋の永吉ツアー」のなかで開催される「アートの話in永吉」の打ち合わせ。永吉にある小水力発電所(うちの弟が社長をしているひおき地域エネルギーの管轄)と永吉にある大寺聡さんの宇宙船みたいなアトリエの見学、世界一美味しいんじゃないか、と思えるような永吉の聚福園さんの中華料理、永吉の歴史、小松帯刀、日置島津家、赤山靭負といった「西郷どん」関係、小正醸造のウイスキー蔵のおしゃれな空間訪問という曼荼羅図のような組み合わせをどうさばいていくのか。そのなかで、アートの話、先の3人で創り上げた大寺聡作品集をどう位置付けていくのか、ほんと、わくわくするような打ち合わせでした。

 さすが、鹿児島のアート文化シーンを引っ張るお三人。当人たちにとっては当たり前のことかもしれませんが、「優れた作品は、客観性の集大成だ」というお言葉に、みたけきみこ、大変しびれました。感動の極みです。この客観性、という言葉で、すべてが理解できるというもの。過剰な執着、個性を云々する低レベルな文化論、そんなものに違和感を感じていたわたしの思いがものすごく整理されました。ありがとう、大寺さん、井原先生、村山さん。大寺さんの大好きな映画「スターウォーズ」予習しておきます(笑)井原先生の重厚なご本もしっかり読んでおきますね。このイベント、成功させますよ。11月18日(日)、どなたでもご参加できます。詳しくは、099−295−3816「月の舟」にお問い合わせくださいませ。

 そして、午後3時。先日、月の舟にグランドピアノが搬送されてきたときに、調律に時間がかかって、夜が遅くなり、それでドルフィンポートの回転すし「めっけもん」に又吉先生とわたしたち夫婦で遅い夕食を取りに行きました。そしたら、「めっけもん」の花板・永吉進さんがわたしたちのテーブルにいらして、はじめてゆっくりといろんなお話ができました。永吉さんが難病であることは知っていましたし、そのなかで「めっけもん」の仕事場にもずっと立ち続けておいでのことをわたしは以前から尊敬のまなざしで見つめておりました。いろいろとお話しするなかで、病気がきついときにはカラオケで3時間くらい歌い続ける、歌を口ずさむことで自分を鼓舞している、といったお話が印象的で、ちょうど歌の専門家・又吉先生も一緒だったことで「今度、又吉先生に歌を習いに来るといいよ」と、その場は終わったのでした。

 その後、永吉さんのフェイスブックのなかで、さだまさしの秋桜を口ずさんでいるとの書き込みがあったので、「もしよかったら、今度月の舟のグランドピアノで、美しい麗華先生の伴奏で、秋桜を歌いませんか?」とわたしがお声かけしたら、とっても歓んでくださって、じゃあ、実現しましょ、ということになり、たまたま19日の午後3時の麗華先生のピアノレッスンに空きが出たことで、午後3時とあいなった次第。あとから聞いたら、なんと金曜日は永吉さんの定休日だそうで、何という偶然。奇跡のような時間でした。又吉先生も午後一時からのほかの合唱クラスの指導を終えて、麗華先生とともに駆けつけてくれて、いつもながらの丁寧な歌唱指導をしてくれました。

 永吉さんは、創ったものの袖を通していなかったというお着物を着て、颯爽と現れました。めっちゃカッコいい。ずっと嬉しくて、そわそわしていた、とおっしゃってくださいます。こうして取り持ってよかったなあ、と感激です。

 麗華先生の華麗な伴奏、又吉先生の的確な指導で、永吉さんもずいぶん声が出るようになられて、わたしたち夫婦はそばでレッスンの模様を拝見しておりましたが、本当に素敵な充実した時間で、わたしたちもしあわせいっぱい。

 麗華先生の伴奏でしっかりと歌うところをビデオに収め、秋桜ミニミニコンサート終了。又吉先生の歌のレッスンを正式に受講されることも決まって、それからずっと永吉さんとお話しして、共通の友人田中ミエさんのこととか、彼の親孝行の秘訣にも気が付いて、本当に充実していました。

 永吉さんの親孝行はすごいな、と思っていたら、永吉さんのご両親がもちろん素晴らしいのですが、うちの親と同じくらい何と言うか「毒」の部分もお持ちで、わたしときたら、うちの亡き父の暴力にあきれ、母の毒舌にたじたじしているのに、永吉さんは「僕がこうして、こんなふうに今日歌を歌わせていただいたのも、両親が僕を生んだおかげですから」とおっしゃって、大尊敬。

 これもつまりは、客観性の問題だな、と思い至りました。親孝行とは、何かを親にしてあげるとか、親がいいから、優しくしてあげるとか、ではなくて、自分がこの世にあるのは、まず両親のおかげ、それがなければ、歓びはない、という理論。これはつまりは感情というよりは理論、理論というよりは本質、哲学の問題であって、実際に毒親であろうと、優しい立派な親であろうと、関係ない。自分が感情に振り回されずに、どれだけ客観的に世の中を見つめることができるかどうか。どれだけ人間の本質を理解しているかどうか。その理解に至る道の苦難を乗り越えて来たかどうか。

 逆に考えれば、他人のせいにして、自分が不幸であることの愚痴を垂れ流している人に比べて、立派に生きることの見本を示していただいているということですね。

 他人のせいにしない。自己責任で生きていく。努力する。愉しむ。そのことをあらためて思い知らされた金曜日。そして、その日、チームホーンのふくちあつし君と前田かなちゃんの赤ちゃんが無事生まれた、との知らせ。昨日、その赤ちゃんを拝みにいったら、なんとわたしの亡き父と同じ名前をおつけになるかもしれない、との知らせ。なんだか、この世は愛が循環しているみたい。わたしの父は表面的な言動は暴力的だったけれど、やはり心底、素晴らしい父でしたからね。

 さ、まだまだ書きたいことはいっぱいあるのですが、そろそろ高橋先生が霧島にご到着の時間です。お掃除もしないと。

 皆様、いつも「みなみ風日記」を読んでくださいまして、ありがとうございます。

 今日も良い天気。素敵な一日をお過ごしください。
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2018年10月14日

自分を生きるレッスンその423 行き当たりばったりが自由じゃないよ

 今日も楽しい一日をありがとうございます。昨日も素晴らしい時間をありがとうございます。毎日、感謝しているわたし。ありがたいことです。

 今日は、午前11時から月の舟源氏物語研究会のメンバーでお食事会をしました。このクラスは、月の舟を開設してからできた夜の源氏物語クラスで、「幻」の巻まで読みました。このクラスのみ、ゼミ形式を時折取り入れて、わたしの講義だけではなく、受講生の皆様にご自分で源氏物語の原文を現代語訳していただいたり、とハイレベルなクラスで、その分進度がゆっくりでしたけど、とても充実していました。

 講義のあとに楽しくお茶をしたり、わたしの2代目アシスタントで、この夜の源氏クラスにずっと通ってきてくれたかなちゃんが結婚したときも、ダーリンのよっくんも一緒にお祝いをしたり、結婚されて福井県に引っ越された林さんの送別会もしましたね。そのときはじめて林さんのダーリンにもお会いしましたね。林さんが鹿児島に帰省の折も、月の舟に赤ちゃん連れで寄ってくださいました。

 そんな感じで家族的なおつきあいのできたクラスでもあったので、ずっと続けていきたかったのですが、わたしたち夫婦が霧島に引っ越してから、最終列車が9時06分ということもあって、お茶もそこそこにバタバタと帰ったり、わたしも理事長も、夜のクラスがきつくなるお年頃になって、幻の巻までいったところで、一区切りつけました。あとは、他の源氏物語クラスを受講しておいでの方も3人ありますし、ときどき集中講義をしたりして、何とか最後まで読み切ろうと思っています。

 現在、月の舟では、水曜日の午後2時から、木曜日の午後2時からのふたつの源氏物語クラスがあります。皆様もご興味のある方は、覗いてみてくださいね。木曜日の午後のクラスは、おそらく来年の夏までには「夢の浮橋」まで読み切るでしょうから、また3年サイクルで源氏物語を読み続けて行こう、と思っています。水曜日のひまわりクラスは、古典を読み継ぐクラスですので、源氏物語の次は、更級日記を読む予定です。

 今日は、かなちゃんのおめでた、ということもあって、かなちゃんのダーリンよっくんも一緒に出産前祝いもできました。山形屋デパートのレストラン「ル・ドーム」のお食事のおいしかったこと。わたしとかなちゃんにお花を皆様が贈ってくださったこと、おしゃべりがつきないこと、本当にすべてが楽しかった。

 帰りに、古本屋をはじめた諏訪田君(チーム・ホーンのメンバー)のところに寄って、新規開店のときに寄贈したわたしとユタカ君の本がいっぱいあるのを観て、何だか感激して、つい買って帰りたくなったりして(笑)、若者が頑張っている姿を見るのは、とても清々しく、気持ちがいいものです。皆さん、ぜひ鹿児島銀行本店裏のビル、書道会館近く、月照上人が宿泊した旅館跡の碑があるところの近くのブックス・パーチへぜひお立ち寄りくださいね。

 その後、ユタカ君と黎明館の西郷展に立ち寄りました。素晴らしい資料が展示してあって、かなり見応えがありましたよ。その流れで観たせいか、今日の大河ドラマ「西郷どん」、凄かったなあ。号泣ものでした。

 さて、ここのところ、素晴らしいグランドピアノを月の舟に頂いたり(厳密にはお預かりしたり)、本当についています。感謝することが続いています。これまでやってきたことが花開いたなあ、と思うことばかり。このグランドピアノ、100年もの、スタンウェイのニューヨークバージョンらしい。音が繊細でかわいらしいのです。このピアノに触れるだけで、気持ちが柔らかくなります。

 そして、ふっと気が付いたら、毎日、何かしら、会員の皆様とか、ご近所の方とか、母からとか、食べ物やら、お野菜やら、お土産やら、ご寄附やらを頂いています。なんて、ありがたいのでしょう。これまでわたしたち夫婦も、世の中の皆様に惜しみなくいろんなものを提供してきたつもりですが、実は、与え、与えられる美しい循環ができているなあ、と思えて、とてもしあわせな気持ちになります。

 わたしたちのまわりのみんながしあわせになりますように。孫たちの世代が平和で豊かでありますように。

 わたしにできることは、まず文学講座。これがわたしの人生の柱です。鹿児島の文学、日本近現代文学、源氏物語、百人一首、日本古典文学全般。そしてブログを書くこと。ユタカ君や家族やわたしのまわりの方々のためにお料理すること。イベントを企画すること。人を愉しませること。歓ばせること。

 いつまでも元気で、文学講座はとくにずっと続けていきたいものです。現在、火曜日午前が鹿児島県立短大の「鹿児島学」、午後がなのはなクラス「西郷どん」関連(来年は、かごしまの文学をやる予定)、水曜日午前が勤労女性センターでの講義、午後が古典を読む「ひまわり」クラス。木曜日午前が百人一首、午後が源氏物語。金曜日は合唱クラス、ピアノレッスン、土曜日は午前が平家物語、午後が外国文学クラス、第4土曜日が月の舟イベント。これまでは、木曜日に源氏物語4講座をこなしておりましたが、夜の講座はお休みにして、霧島に帰って、温泉に入り、晩酌をして、英気を養っております。

 わたしは欲張りな女なので、ここらでいい、ということができません。もっともっとやりたい、と思うときは、じゃんじゃん突き進みます。でも、もういいかな、よく頑張った、というときは、さっさとやめます。この決断力が、自分でも気に入っているところです。決断力って、とっても大事です。泥沼に浸っていないで、さっさと前進するがよし、といつも思って生きています。

 人間、どんどん変化していく。成長していく。ここが大事だなあ、と思います。成長することなく、過去の自分の達成であるとか、もともとの才能だとか美貌だとか、そういうものに溺れてはいけない。成長が見える、ってことが人間の大きな魅力になるのです。

 で、わたしの弱点は、整理整頓と体重管理。ここを制覇すると、また格段にわたしの人生は美しいものになっていくでしょう。毎日の細やかなスケジュール管理がものを言うと思います。行き当たりばったりで、その日を暮らすことを自由とは言わない。楽しい努力をすること、わくわくする負荷をかけていくこと。ついている今だからこそ、人生に負荷をかけて、魂と身体を磨いていかないといけません。

 やることがいっぱいある楽しみ。芸術を仕事にしていることは、本当にしあわせなことです。大金持ちにはならないかもしれませんが、芸は身を助けてくれますし、芸はまず自分自身を歓ばせてくれます。文学講座、イベント企画を仕事にしていること自体、しあわせなことなのですね。

 明日もまた、楽しい紅茶会の予定。授業準備もばっちりやっていきます。イベント企画、営業も楽しくがんばります。何よりも、一分一秒を大切に生きていきます。一番の課題のお掃除。今月いっぱいで本や書類を片づけよう。人生を楽しくしようと思ったら、整理整頓だあ。

 皆様も、素敵な一週間をお過ごしください。
posted by kimiko at 22:57| Comment(0) | 日記