2018年08月31日

自分を生きるレッスンその416 最高の人生

 8月最後の日。今日は、9月22日の「きりしま西郷どんコンサート」の打ち合わせで、チームきよらの4人が、霧島まで来てくれました。ありがたいなあ。昨年は、9月2日に「きりしま十五夜コンサート」を霧島市観光案内所前庭で開催し、150人を超える方々にいらしていただきました。大盛況で、心から感謝の気持ちが湧き起るイベントでした。それで今年もやりたいと思って、いろいろアイデアを出しているなかで、アクティブリゾーツ霧島(旧霧島ロイヤルホテル)さんのロビーで開催させていただく運びとなりました。広々とした美しいロビーで、雨や虫刺されの心配もなく、思い切り声を出して、智美さんも自由にダンスができる感じで、ありがたいことです。ホテルの担当の方にもよくしていただき、感謝、感謝です。

 若い人たちと一緒に仕事ができるしあわせ。若い人たちが、わたしたち夫婦に信頼を寄せてくれて、思い切り才能を開花させてくれる、この循環が大好きです。どんどん、わたしたちの手のひらから大きく世界に羽ばたいてほしいなあ、と思います。あ、もうすでに羽ばたいていますけどね。さらに大きく冒険しようぜ。

 先日、「父の娘」について考えているときに、自分のなかに残っていた棘を発見しました。その棘とは、自分が小さな、悲しみに満ちた無力なかわいそうな女の子であるという自画像。そんなかわいそうなものの言えないわたし、女性であることで損をしている自画像が、あれこれと思いめぐらしているうちに、見事に崩壊したところで、「あ、わたしって、61歳のおばさんだったんだよね」という気づきに至りました。何だか、心のカサブタが取れたような爽快感を味わっています。

 そっかあ、わたしって、3歳の女の子じゃなくて、61歳のオバサンだったんだわ、という気づき。ちょっと変なのですけれどね。父が切れやすい人だったの、いい時は、明るくて冗談が上手で、面白い父だったのですが、どこかで地雷を踏むと、手が付けられないくらいに暴れる。それが毎日のように繰り返されて、家庭内に溢れる暴言に身を置くときの無力感、逃げてはいけない、わたしが守らなきゃ、という正義感、それらが自分の実力とちぐはぐにあることで、小さなきみこちゃんは大きな混乱のなかにあったのですね。それが、どうしても自分にダメ出しをしてしまう原因となり、心の底にわだかまったコンプレックスの種となっていたようです。

 女の子はおとなしく、みんなの言うことを聞いて素直で、男の人には逆らわずに、お勉強はほどほどにして、でしゃばらないで、服装もきんきらじゃなくて、目立たないけど、どこかにおしゃれ感があるようなファッションで、子育てと家事に邁進して、介護もがんばって、人の役に立って、苦労は静かにひとりで引き受けて、というような女の人生を前にして、どうしていいかわからずに佇んでいる女の子。人に脅威を与えるような自分のなかにある個性じゃなくて、「女らしさ」が求められ、どぎまぎしている女の子。

 いわゆる「良妻賢母」的な生き方を特に否定はしないけれど、自分の意志に従えば、そこからどんどん外れていくわが人生。それに対して、どこかに罪悪感があって、「ああ、ダメな子」という思いがあったのでしょうね。そっかあ、ようやく「みたけきみこ」らしい人生を生きることができているいま、もうその罪悪感とも無力感とも、さようなら、ですわ。

 そうそう、わたしはもう強い人間なんだ。自立した、鹿児島の文化をぐいぐい引っ張っていく力のある女性になったんだ。小さくてかわいそうな女の子じゃない。ものもきちんと言えるし、自分の力で立つことのできる、リーダーシップを発揮することのできるわたしになったんだ。父と母の課題をわたしが背負う必要もなく、わたしはわたしの課題を乗り越えて、いま、最高にしあわせ。両親ともにエネルギーの大きな人たちだったので、わたしたち子どもも苦労しましたけど、受け継いだものも大きかった。そのことに、いま、ようやく気が付いたのです。

 さらに、わたしって、相当気が強いんだわ、という気づきもありました。池江璃花子さんくらいに、「誰にも負けたくない」という気持ちがかなりあるようです。小さなかわいそうな女の子像が崩れて、そこには負けん気の強い61歳のおばはんがひとりぽつんと立っておりますが、さあ、ここから本格的に自分を磨いてまいりましょう。

 わたしの理想は、生涯現役。他人様の前に立っても恥ずかしくないような「みたけきみこ」であるように、自分をマネージメントします。時間厳守、整理整頓、被害者意識をなくす。人の悪口を言わない、言わせない。自己責任。スマートな体型。素敵なファッション。健康。

 いまの仕事は最高です。これ以上ないくらい。環境も最高です。ユタカ君と一緒に仕事ができるし、信頼できる仲間に恵まれているし、娘たちは立派だし、孫たちはかわいいし、お婿さんも優しいし、言うことなし。

 ひとつひとつの講座、イベントの準備をしっかりやって、大成功に導いていきます。来年の夏まで、スケジュールがいっぱい詰まっています。信頼していただいてのお仕事も頂き、感無量です。ひとつひとつ、一歩一歩、地道に歩いていき、華やかなステージも自信たっぷりにこなして、これからもがんばります。まだまだ60代、ひよっこです。まだまだ、伸び代、成長の余地があります。100歳に向けて、坂道を登り続けます。

 チームきよらの若者たちも、午後の仕事に出かけて行き、ユタカ君も出かけました。わたしは、講座の準備を目いっぱいやります。自分が成長していくことを実感する歓び。今回はとくに深く味わいました。
 
 明日から9月、秋の気配も感じるこの頃、ともに成長して参りましょう。
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2018年08月27日

自分を生きるレッスンその415 父の娘

 8月25日(土)開催の「ミラノの須賀敦子×かごしまの向田邦子」のイベントが大成功で終わり、ほっとひと息ついているところ。ほお、頑張ったなあ。先生方がとっても協力してくださって嬉しかったなあ。ご来場の皆様方も、月の舟会員さんをはじめ、暑い中をいらしてくださり、熱心に聴講してくださって、ありがたかったなあ。又吉秀和先生が「サンタ・ルチア」ほかを室屋麗華先生のピアノ伴奏で歌ってくださって、とっても癒され、うっとりしたなあ。それに関連して、「聖ルチアって、光の女神だよね、だから、わたしのことをきみこルチアと呼んで」などと周りに偉そうに言っていたみたけきみこ。さすがに生意気ですわ。

 どんなことにも全力投球ですが、久しぶりに身体が動かなくなるほど、200%やりきったがために昨日は疲れ果てておりました。20年近く前に、胡弓の趙国良さんとそのお友達の楽団13名を伊集院文化会館にお招きし、「虹のかけ橋コンサート」を開催して、わたしたちの動きをMBC放送の「どーんと鹿児島」が追いかけてくださって、800人を超える観客を動員したときには、頭の中が脳みそが動いたまま止まらない、という経験をしました。つまり、あまりあれこれ考えすぎて、あれこれ気を配りすぎて、その脳の動きが止まらずに、身体は静止しているのに、頭はまだ活発に動いている状態。それに近いことが昨日は起こり、ええと、あれとこれと、これとあれと、と考え続けている自分がいました。

 ま、打ち上げで一次会がイタリアレストラン、2次会がその近くのバー、その後、ユタカ君とふたりで天文館のバーに行き、最後は、月の舟会員さんの「遙」でカラオケを歌って、ホテルに帰り着いたのが午前2時ごろだった記憶がうっすらと。夜中に気が付けば、ベッドに靴だけは脱いで横たわっていた状態。そして、鉛のような身体にシャワーを浴びて、南先生のところに駆け込んで、整体マッサージをしていただき、午後1時に約束していた永吉の小水力発電所へ、ユタカ君とドライブ。外の暑さの尋常さは半端ではない。小水力発電所に着くと、坂の上からクイズを解きながら降りてきてください、とスタッフの坂之上さんが言うけれど、「えーーーー、そんな若い人みたいなことはできないわ、ババアは歩かずに発電所に一番近いところに車を止めたい」とわがままを言って、一番近いところに止めても、坂道を5分歩くだけで、帽子も日傘も準備せずにやってきた60女には過酷な坂道でしたわ。

 それでも、小水力発電の可能性が勉強できて、来てよかったなあ。永吉って、すごいところだわ。歴史的遺跡もいっぱい。これは11月に素敵なツアーが組めるぞ、と手ごたえを感じて、スタッフの坂之上さん(わたしの初代アシスタントのかなちゃんのダーリンだよ)や天辰さんとおっしゃる女性スタッフの方々とお話しもできて、若い人たちとの会話って、酷暑にあっては一服の清涼水みたいな爽やかさで、とっても楽しかった。

 で、帰りの車のなかで爆睡するわたしの横で、ユタカ君はまじめに霧島の自宅まで運転してくれます。ありがたいなあ。彼も疲れているだろうに、わたしのわがままを優先してくれます。そして、あれこれと反省し続けるわたしに、「きみちゃんは世界一だよ。昨日も素晴らしかったよ。切り盛りが上手だった」と他人様が聴いたら「あほか、おまえ」となるような褒め言葉を次々に言って、わたしを励ましてくれます。

 今回、須賀敦子と向田邦子という大物ふたりを並べたこと、小林潤司先生、中谷彩一郎先生と大物ふたりとの対談ということで超張り切っていたこと、イタリア歌曲とのつなぎがきれいにできるようにと気を付けていたこと、聴衆の皆様が飽きないように、あれこれと工夫したこと、暑い中を来ていただくのだから、と冷たいお茶を用意したり、水羊羹を用意したり、と仕事がいっぱいあったことでいつものイベント以上に疲労感がありました。いつもはもっと達成感にまみれて、次の日もとっても元気なのですが、今回は、司会なのに先生のご意見に反論したこと、ダンテの「神曲」を読んでいなかったことが大きな反省の材料で、そのことについて、わたしのなかで大きな変化があったから、疲れも倍増したようです。

 須賀敦子の大物ぶりは、彼女を語るときに彼女の作品以外に読んでおくべきものが多すぎる、という点ではっきりします。ダンテの「神曲」、ナタリア・キンズブルグの「ある家族の肖像」、タブッキだの、カルビィーノだの、うひゃー、というくらいにわたしに宿題を与えてくれました。ダンテの「神曲」はユタカ君のお婿入り道具の本を引っ張り出して、高校時代に戻ったようにして、読んでみましたが、「あ、だめだわ」と硬い言葉の列に畏れをなして放置したのでした。トークのなかでその話をしたら、中谷先生が「神曲」は面白いですよ、と教えてくださって、これがまず今後の宿題のひとつ。だんだん、読む気満々になってきました。

 向田邦子は全作品を読み込んで、自家薬篭中のものにしているので、語りだしたら止まらないくらいですが、今回、須賀敦子と向田邦子の共通点として、「父の娘」という言葉をわたしが切り出したら、小林潤司先生が上手にくらいついてくださいました。どんな話題もヒットを飛ばしてくださる小林先生、3塁打くらいなヒットで、須賀敦子と向田邦子が父親世代に抱いた処世術のあり様を「脅威を感じさせないやり方」として切り込んでこられ、さすがだなあ、と思いつつ、「反論があります」と司会のくせに言った自分にダメだしをしています。小林先生は大人なので、上手に切り抜けてくださったのですが、自分で自分になんだかがっかりしました。

 「父の娘」という課題は、男性にはわからない、というのがそのときのわたしの感情だったのですが、いま思えば、わたしのなかで「父の娘」というテーマが解決済みのつもりで、まだくすぶっていたんだなあ、と思いました。

 わたしも父親にかわいがられて育ったので、「父の娘」というテーマは、もうかれこれ40年近く抱えてきた問題です。父の死で、それは解決できていた、と思っていたのに、こんな場所で、こんなときにひょっこりと、その根っこが出てきて、自分でもびっくりしています。そこで、この場でしっかりと見つめなおしてみたいと思います。

 「脅威を感じさせる」という言葉にたぶん、わたしは反応したんだろうなあ。これまでかわいがっていた娘、ペットのような娘、自分の宝である娘が、どうにも自分に敵わないものを持っていると気づいたときの父の態度。憧れであり、母よりも人生のモデルとして身近にいる存在としての父がライバルになるとき、娘の側は父の態度の方にびっくりするのですけどね。そこを「脅威を感じさせないようにする」というのは、できない。父にかわいがられたように、男性上司にも受けがいい。でも、どこかで「おまえは、俺の上を行くな」と言われるのは、とっても不可解で、それを乗り越えるのが、近代女性、現代女性の、男性にはない課題なのではないでしょうか。

 須賀さんも向田さんも「天才」だから、自分が普通の少女じゃないことがもう小さい時からわかっていた。良妻賢母の母、お姑さんに逆らわないで小さくなって、働き通しに働いた母ではなくて、教養を土台にして働き、生きている父、特に読書を通して、父親と深くつながっていた須賀さんと向田さん。わたし自身も父が読書家だったおかげで、文学の道に進んだともいえるので、この大物ふたりと自分を重ねるのはおこがましいのですが、あえて重ねると、本当によくわかる。父は憧れであり、生きるモデルであり、でもそんな父そのままに生きることはしないで、反発したり、ライバルであったり、師匠であったり。

 向田さんは、自分の天才や個性を、「反省しない」と決断して、他人と合わせることなく、自分の道を進まれます。須賀さんも、18歳で受洗して、24歳で留学して、イタリア人と結婚して、というように、どこにもない「自分の道」を歩み続けます。それは、他人に脅威を与えないような工夫をすることでは、決して見いだせない道だと思うのです。それよりも傷ついて血を流してもいいから、世の中に脅威を与えようと「反省しないで」、自分がモンスターであることをどこかで自認し、モンスターであることで突き抜けた。

 須賀敦子は、自分が訳したいものだけを訳したから、いわば素人だ、という批評があって、なるほどな、と思いました。わたしもやりたいことだけをやって、何やってるのか、何が専門なのかわからないのですが、素人なんだろうなあ。でも、そういう他者からのレッテルなんて、まあ、どうでもいいわな。といまのわたしは思って、中谷先生みたいな、しっかりした専門家からすると、わたしの「思いつき」は無茶振りだ、と言って笑われるのですが、こればかりは、つい思いつくものですから、自分でもコントロールの仕様がないですな(笑)

 今も根強くある男尊女卑。男性が強くて、女性は弱い、という神話。もうそれに乗っかって生きていける時代ではなく、男性も女性も「自分」を頼りに、他者と強い絆を保って生きていく時代になりました。支配と服従の時代から自立と共生の時代になりました。

 前近代的な男性諸氏は、女性を守ろうとしてくださいます。女性も守られようとされます。経済的にも精神的にも。100とゼロの時代ではなくて、フィフテイ、フィフテイの時代になってきたようです。男性も女性も、守り、守られる。お互い様。お互いを尊敬し、信頼し、補い、補われる。

 わたしは、このブログでもよく書くのですが、自分のなかの男性性と女性性の割合をきちんと計ることが大事だ、と思っています。わたしはどちらかというと、男性性(挑戦)のエネルギーが強い。うちのユタカ君は女性性(受容)のエネルギーが豊富。わたしは男性性6で女性性4かな。ユタカ君は男性性4で女性性6かな。ま、そんな割合です(笑)。だから、わたしは挑戦することをやめない。ユタカ君はほとんど挑戦しない(笑)、挑戦するわたしの横で「いいぞ、行けーーー」と囁いたり、「ここで、ひるむな」と叱咤したりしてくれます。でも、彼の男性性は引っ越しのときの体力とか、庭いじりのときの忍耐力とかによく出ているし、何よりも、わたしや娘たちやまわりを強く守り包容してくれる力は抜群です。

 そんな力をお互いにセーブしないで、思い切り出せる、そんな関係でありたい、と思います。須賀敦子さんとペッピーノさんのカップルもそうだったでしょうねえ。

 男性性の強いわたしは、だからこそ、しっかりとおしゃれして、女性性を発揮するのです。それはまた心地よいことで、わたしの楽しみでもあるのですが、本質としての「挑戦」だけで生きていると、硬くなってしまう心を、おしゃれすることでほぐしています。そしてはじめて、「みたけきみこ」が完成するわけです。また、その「みたけきみこ」はどんどん進化していきます。

 やはり、愛というのは「人を鼓舞すること、エンパワーすること」。しかも、無条件で。それによって、儲かるとか、人から褒められるとか、ではなくて、無条件の愛。それは、親子でも夫婦でも友達でも適用できる哲学です。人間の生は、この愛から始まり、この愛で終わる。

 そして、親子はどこかで縁を切らないといけない、というのが、今回「父の娘」を考えるなかでの結論です。人間みな成人したら、親子ではなく、大切な友人として付き合う。世の中にしっかりと送り出したら、親面をしない。親は生きているのだか、どうなのだか、わからないくらいがちょうどいい。あとは孫の面倒を見ること(遊ぶこと)と、親が年老いたら、それはまた子どもの出番で、ちゃんと介護する。SOSが出たら、さっと出動する体制を整えておく。須賀さんと向田さんと同じ年のうちの母は、介護しようとすると、「へっ」と言って、まだまだ娘と張り合っていますけど、それはまたあっぱれな生き様だな、と思えるようになりました。結構まだ母親をやろうとして、鬱陶しいですけどね(笑)

 父も激しく、荒い言葉を吐く人でしたけど、とても温かい人柄でしたね。社員の方たちも「死ね」とまで言われたのに、父を慕っている人は多かったですね。父も母も全力で、わたしを愛してくれた。父も母も、わたしを誇りに思ってくれている。そう思える今日。やっと「父の娘」の課題が解けました。わたしは、わたしでこれから力強く生きていきます。要するに、父からの精神的自立ができていなかった、ということです。

 今回のイベントは、いろんな意味で、素敵な転機となりました。また新しい扉を開けて、進化し続ける「月の舟」。ぜひ、遊びに来てくださいね。明日は午前11時から「お能クラス」、9月も素敵な講座がいっぱいです。わたしの鹿児島市勤労女性センターでの「西郷さん早わかり講座」の受講生もたくさん集まってくださっているようです。

 次の月の舟イベントは、9月22日(土)、霧島ロイヤルホテルのロビーにて、午後2時からと午後8時から、「西郷どんコンサート」をやります。入場無料です。霧島までの交通手段が心配な方は、鹿児島中央駅午前10時出発の「きりしま美味しいものツアー」にご参加ください。貸切バスで行きます。詳しくは、099−295−3816「月の舟」まで。

 夏休みも残りわずか。素敵な夏の日をお過ごしください。
posted by kimiko at 13:44| Comment(0) | 日記

2018年08月22日

自分を生きるレッスンその414 準備が最優先

 台風19号と20号がダブルで日本に近づいており、今日、月の舟は休講にしました。昨夜は風が強かったですが、今朝は静かな霧島です。

 これまで台風が近づくたびに、月の舟の講座を休講にするかどうか、ユタカ君とふたり頭を悩ましてきました。でも最近は、やはり受講生の方々の安全が一番、ということで、休講と決めて、連絡したら、あとは晴れようと大荒れだろうと悩みません。ああ、やっぱりやっていたらよかったなあ、と思わないようにしています。だってこればかりは、自分の手の範囲外ですからね。

 ユタカ君は受講生の皆様に休講の連絡したり、HPに載せたり、と忙しくしたせいか、昨夜は8時半には就寝、今朝もゆっくりと寝ておりました。良妻?のきみちゃんは、そんな夫を静かに寝かせてあげています。いつもユタカ君の頑張りがあるからこそ、月の舟は維持されているのですものね。今日は休みなさい、との神様のプレゼントと理解しています。で、爽やかな風の吹く霧島で、ゴーヤチャンプルーの豪華な朝食のあと、25日のイベントに向けて、ふたりで準備をしております。

 昨日の「須賀敦子の世界」の講座で、受講生の方が、「これまで樋口一葉とか与謝野晶子とかを勉強してきましたけど、そうした女性とは違う感じで、須賀敦子さんは素敵だな、と思います」とおっしゃって、そうそう、須賀敦子さんは「希望」とか「挑戦」という言葉がぴったりの大物ですね。世界を股にかけて飛び回る須賀さんの行動力には、本当に勇気づけられます。向田邦子さんも早くに世界一周旅行をしているし、与謝野晶子もシベリア鉄道経由でパリの鉄幹のところまで行っていますしね。行動力のある女性って、本当に素敵。

 樋口一葉も与謝野晶子も大好きな文学者ですが、やはり明治、大正という時代は、貧乏とか病気、夫の問題とか子だくさんとか、理不尽な課題をいっぱい抱えての女性の人生でしたが、須賀さん、向田さんの時代は、まだまだ困難が横たわりながらも、世界に向けての第一歩が踏み出されて、そのあとを継ぐわたしたちの世代は、その第一歩のおかげで、道ができて、女性として生きることが世界レベルになって、ラクに楽しくなってきて、ありがたいなあ、と思います。恵まれた環境、資質を活かして、前進し続ける須賀さん、向田さん、おふたりの生き様はとてもエネルギーをいただけます。

 被害者意識を持たないことが、よりよく生きることの大前提だ、と思うこの頃。ひどい夫を持った、上司の理解がない、子どもが言うことを聞かない、など外部条件で自分の人生がストップされているのではなく、自分自身の心の奥底に人生を停滞させる要素というのがあって、それを打破し、乗り越えるしかないのですよね。潜在意識のなかに、自分はダメだ、とか、自分にできるわけがない、という思いがくすぶっていて、それが人生をストップさせている大きな要因だと思います。不幸が三度のご飯より好きな女性って、とても多いと思うのですが、被害者意識をなくすことで、道が拓ける、というものです。

 やはり、物事がうまくいかないときって、単なる勉強不足、準備不足、練習不足、計画の見当違い、方向性を間違えていたり、ちょっとしたことを見逃していたり、どんなときも人生に対する用意をしておく。整理整頓をしておく。家のなかも、事務所も、心のなかも。まだまだわたしの家も月の舟もごたごたしていますから、気合を入れて、整理整頓します。

 西郷さんの「南洲翁遺訓」の第41条にも、準備の大切さを力説されています。「文武の道はひとつ」とは、どちらも、いえ人間の人生全般が、この準備にかかっている、ということでしょう。文とはただ机と鉛筆ではない、武とはただ剣と盾ではない、との言葉があることを昨日勉強しましたが、知識も武力も、自分のなかに蓄えることからはじまる。だから、準備が大切。日々の研さんに勝るものはありません。

 自分に集中して、自分の優先すべきことから取り組む。わたしの場合は、明日の百人一首、源氏物語の講座の準備、あさってのリハーサルの準備、25日の「須賀敦子×向田邦子」の準備を万端にします。まだまだいろいろとやることがあります。

 9月22日(土)のきりしま「西郷どんコンサート」の準備も同時並行です。詳しいご案内は8月25日にしますので、お楽しみに。「きりしま美味しいものツアー」とドッキングさせる予定です。

 11月24日、霧島みたけ邸にて、ブックカフェ号のご来臨。それにあわせて紙芝居、絵本の読み聞かせ、それから古本市、マルシェ、などをみたけさんちをいっぱいに使ってやろうと計画しています。ついでだから、11月23日、24日、25日の3日間連続でやるつもり。

 11月18日は、弟が社長をしている「ひおき地域電力」の小水力発電所見学を兼ねて、そのロゴマークを制作してくださった大寺聡さんとコラボして、文学散歩を企画中。小松帯刀のお墓とか、西郷さんのひ孫さんの窯とかあるので、西郷さん関連も立ち寄れます。

 12月9日(日)は、月の舟自由大学学園祭。又吉&麗華コンビの華麗なコンサートに続けて、面白い企画を先日の朝、思いついて、ほくほく。月の舟通信9月号で、お知らせしますね。

 9月からは、鹿児島市勤労女性センターで「西郷どん早わかり講座」全5回、10月からは鹿児島県立短大で「鹿児島学」の講座スタート。わたしの担当は、12月の3回。毎日の自分の文学講座を世界一にするプロジェクト、来年は本を出したいプロジェクト、おお、何たる豪華さ。

 これらの企画は、全部自分で考え、立案し、実践しているものなので、誰からの被害も妨害もありません。もしあるとしたら、そこは避けて通ります。何よりもたくさんのお力添えがあり、楽しいコラボがあってこその企画実現で、それが一番うれしいです。それが一番しあわせを感じるひとときです。

 金足農業高校のナインみたいに、力を合わせて、雑草のように生きていきたいものです。25日の月の舟イベントも、受付のスタッフまで入れると、うちも9人態勢です。あ、10人かな。それがいいんだよね。みんなで力を合わせることの素晴らしさ。皆さん、歓んで一緒にお仕事してくださいます。感謝、感謝、感謝!

 そして、自分は自分の準備を100%どころか、200%くらいやっておく。ぎりぎりまでやっておく。こまやかにやっておく。それだけが人生を成功にしあわせに導いてくれると信じています。

 少しお天気が曇ってきました。今日も勉強に家事にピアノの練習、運動、散歩、料理に勤しむ一日です。皆様も台風に気をつけて。情報をしっかりと仕入れて、適切な「準備」を。
posted by kimiko at 13:06| Comment(0) | 日記