2018年05月21日

自分を生きるレッスンその396 マザーきみこ

 18日(金)、19日(土)と連続で午前様でした。勉強で徹夜とかではなく、飲み会で午前零時を過ぎる(笑)。先週の11日(金)もたかのてるこ講演会の懇親会で午前2時就寝でしたから、今月はすでに3日も午前様。60歳にしてはまあまあの体力かな。まだまだ徹夜できる体力はありますわ。

 今月は、11日(金)がたかのてるこ講演会&交流会、18日(金)が岩永善信十弦ギターコンサート、そして19日(土)20日(日)が日本近代文学会九州支部学会があり、忙しくも充実した日々でした。それで、午前様が続いたわけです。

 たかのてるこさんも岩永善信さんも、ご縁があって月の舟で講演会やコンサートを企画させていただきました。月の舟オリジナルではなく、お世話になっている方に頼まれて、鹿児島で講演会やコンサートができるところはないか、とのことでお引き受けしたわけです。こうした頼まれ仕事はオリジナル企画とは違った苦労があるのですが、ユタカ君が淡々とチラシ・チケットを作ってくれるし、全く煩瑣な事務もいとわないで、一所懸命やってくれるので、わたしも全力でお手伝いします。

 たかのてるこさんの抱腹絶倒講演会も大盛況で、交流会も弾みました。地球65か国を旅して、気が付いたことを皆さんと分かち合いたい、そうしたら、みんな生きることが楽になるからね、というお話しでした。会場を貸してくださって、交流会のお料理も手作りで、しかもわたしたち夫婦やスタッフの飛雄馬君も泊めていただいた青年会館・艸舎の皆様には、本当に感謝いたします。久々のコラボのお仕事でしたが、青年会館・艸舎さんはこまやかにいろんなことに配慮してくださって、気持ち良かった。とくに交流会で午前様の翌朝の朝食のおいしかったこと。聖子さんも午前様だったのに、愛のある朝食を用意してくださって、嬉しかったなあ。わたしたち夫婦も、理事長の松下さん、聖子さん、お料理を作ってくださった西さんにお礼のプレゼントをしました。おかげさまで、続く12日、13日の講座もしっかりと乗り切ることができました。心から感謝いたします。

 たかのてるこさんは初めてお会いする方ながら、たましいの姉妹のようで、気が合いました。わたしの豊かな胸を見て、「大きいわねえ」とブラウスの間から覗きこんだり(笑)、とてもお茶目なところが似ているし、「こんな洋服、みたけさんしか着こなせませんわ」と褒めて?くださったり、講演会でお話しされる内容が、わたしのしあわせトークと重なることもあって、親近感を持ちました。「自分を愛して」「自分をいじめないで」との愛の表現は、たくさんの方に響いたようです。おかげさまで、わたしもまたしあわせトークを再開するぞ、とやる気が出てきました。たかのてるこさんの講演会は、鹿児島県内で志學館中等部・高等部、枕崎桜山小学校、鹿児島大学でも企画され、それぞれ大盛況でした。

 18日(金)の岩永善信十弦ギターコンサートは、2年に一回岩永さんが鹿児島においでになるので、そのときに月の舟が企画させていただいています。今年で3回目です。毎回、わたしが司会をさせていただいているのですが、今年もまたわたしの司会を大変喜んでくださいました。2年前のコンサートは、月の舟@天文館で行い、そのときに天井から音が跳ね返って、まるでお皿が割れたような音が聞こえたのですが、今回は、鹿児島復活教会で開催したせいか、鈴の音がいっぱい響いているように聴こえました。まるで天使たちが鈴を振って集まってくるかのようでした。天使たちのおかげ様、司祭様ご夫妻の優しさもあって、ステンドグラスの美しい、音響の良い復活教会には、100人近い方が集まってくださって、大盛況のコンサートになりました。

 岩永さんはりんごの皮を剥いているときに親指を怪我されたということで、ちょっと痛々しい親指状態でしたが(プロの岩永さんにしては珍しいハプニング!)、本当に彼の演奏には引きこまれます。ギターの優しい音色に包まれてうっとりとなります。その秘訣が今回は解明されました。コンサート後のお食事会で岩永さんは言われました。「他人の評価とか気にしないようにしている。いつも自分がどれだけ成長したかをチェックしている」と。

 全く持って同感です。わたしも同じように、自分に集中して、自分の能力を高め、表現し、成長することだけを心掛けていますから。岩永さんはわたしを気に入ってくださって、「かわいい声で、人を引きこむ声だよね」と言ってくださったのですが、岩永さん自身が人を引きこむ術を持っておいでで、目指す方向が一緒なんだなあ、と感慨深く思いました。

 他人に自分の音楽を伝えたい、と言ってもなかなか伝わらない。他人の気に入るように演奏するのも嫌だし、自分の思いをちゃんと表現できるように成長していくことに集中するしかないよね。そんな風に岩永さんはおっしゃいます。世界的な芸術家を仲間と呼ぶのはおこがましいのですが、何だか仲間に出会えた気分でとても楽しい夜でした。はま亭での打ち上げ食事会も、司祭様、受付のピアノの麗華先生も加わってくださって、美味しくいただきました。お手伝いの飛雄馬君、今回もありがとうね。

 そして19日(土)は、学会です。わたしは日本近代文学会に所属してもう35年ほどではないかな。九州支部の大会が今年は鹿児島大学で開催されるとあって、楽しみに出かけました。わたしは大学に所属しないで、「月の舟自由大学」を自分の足場にして活動していますので、もう論文を発表してなんぼの世界とはご縁がないのですが、学会の雰囲気が大好きで、スケジュールの許す限り、全国大会、支部大会のどちらにも出かけています。今年は、鹿児島大学で開催でしたので、楽しみに出かけました。

 研究発表の数も多く、大変勉強になりました。60歳にして、学会発表にまだ頭の回転がついていく自分が、結構自慢だなあ(笑)。これも一重に月の舟自由大学で、ほぼ毎日のように授業をさせていただいている成果だなあ、と思うことしきり。わたしの勉強が月の舟の会員さんを刺激し、またこうして学会で若い研究者の皆様の研究を拝見して、刺激され、それを循環していく。ああ、いいなあ。

 運営は、若い竹本先生や多田先生が一所懸命おやりになっていますので、わたしはお願いされた2次会の会場探しをお手伝いしました。天文館は、我が家の庭のようなもの(笑)、行きつけのお店はいっぱいあります。しかも、どのお店もとっても素敵!大好きなお店ばかり。今回は「ハミルトン」にお願いしました。マスターのさりげない気遣いに感謝、感謝。お酒も美味しいですが、飲み放題で、一次会でたらふくご飯を食べてきた胃に優しいカクテルが大人気。ご参加の先生方も歓んでくださって、わたしもほっとしました。

 やはり30代、40代の研究者の皆様は、凄いなあ。新しい時代の新しい研究者という感じがします。懇親会も大盛り上がりでしたが、2次会のハミルトンでも、皆さん、研究の話をいっぱいされていました。喧嘩するでもなく、噂話でもなく、淡々と、でも情熱的にとことん話される姿に、還暦ババアは胸打たれます。この雰囲気が好きなんだよねえ。文学の話、芸術の話、学問の話をとことんする。その話が誰にも邪魔されずに、いっぱいできたのが良かったし、とっても楽しかった。

 懇親会のときに、竹本先生が、わたしのことを「鹿児島の母」と紹介してくださって、2次会では、「マザーきみことお呼び」とわたしも冗談で言っていましたが、何だかその雰囲気が自分で気に入って、いや、マザーの上は何、観音様とか?女神さまとか?などとだんだんふんぞり返っていた自分を冷静に振り返ったいま、とても恥ずかしくなりますわ。

 でも、冗談ではなく、60歳を過ぎた今、「母」「マザー」「女神」でありたいと、思っています。もちろん、死ぬまで成長していきますし、生涯現役で仕事をしていきますが、若い人たちのなかにあっては、愛ある支援者でありたい、と思います。娘たちと同じように、若い研究者の皆様に対しても、チームきよら、チームホーンのメンバーに対しても、緊張して肩の凝る先輩でないように、愚痴や悪口を垂れ流す先輩でないように、新時代の熟女モデルであるように、若い人の背中を優しく押してあげる存在であるように、一緒にいて楽しい存在でありたい、と思うのです。

 やはり人間関係で一番よくないのは、「他人をコントロールすること」。愛という名のもとで、他人をコントロールすることが、どれだけ人を傷つけるか。「ダメなお前を何とかしてあげる」ことの悲惨さは、出る杭を打つ行為とつながっています。面倒を見てあげる、といって、相手が成長していくと、途端に意地悪して、成長するな、というメッセージを送る前世代の先輩方から、「愛ある支援者」になる契機を頂いたと思うこの頃。ダメンズメーカーにならない、という決意。他人をコントロールしないで、他人からもコントロールされないで、自分を貫くことは、精神を強くしていきます。

 自分が成長をやめたときに、他人に無駄な関わり方をするのです。自分の成長に集中しましょう。それはエゴではありません。愛ある支援者になるための第一歩です。前回書いた「親友として」のスタンスが一番いいですね。

 20日(日)は、午前9時から研究発表。ほとんどが中国、韓国の留学生の大学院生の研究発表です。前日の懇親会で、留学生の方々と話が弾んだので、気合を入れて聴きました。とても興味深い発表ばかり。発表後に気になったところを個別にお話ししました。国に子どもや夫を置いて、単身で勉強に励んでいる方、自分一人で日本で研究、子育て、仕事に励んでいる方、それぞれです。ああ、みんな頑張っているなあ。でも、もっと楽な環境で、もっと自由にしあわせに研究、子育て、仕事ができるといいなあ。応援していますよ。

 おかげさまで、わたしは子育て(いまは孫育て)、仕事、研究の環境が整っています。ユタカ君がいるからこそ、わたしの環境が万全です。ありがたいこと限りなし。母にもずいぶんお世話になっています。親族の影の応援もありがたい。月の舟の先生方、会員の皆様にも感謝、感謝です。

 20日の研究発表が終わったあとは、かごしま近代文学館に九州支部長の浦田先生をご案内しました。初めてお目にかかる林芙美子研究者の方もご一緒してくださいました。近代文学館で2時間以上過ごして、鹿児島中央駅でおふたりと別れて、わたしは霧島の自宅に帰ってきました。

 いつものように、ユタカ君と温泉に入り、ゆっくりと晩酌をして、テレビドラマ「西郷どん」を観ます。だんだん面白くなってきたな。これからだよ。みたけきみこもまだまだだよ。まだ引退なんかしないよ。ずっと学び続けますよ。死ぬまで仕事し続けますよ。マザーきみこ、その役割は終わらないよ。

 今朝、ゆっくりと起きて、こうしてブログが書けるしあわせ。鹿児島大好き、霧島大好き、月の舟大好きどころか、愛は何よりも深い。自分が大好き。ユタカ君大好き。さ、今日のオフも勉強に家事に張り切ってまいりましょう。来週、再来週も忙しいぞ。
 
 このブログをアップしようとしたら、我が家のインターネット回線が不良で、先ほど回復しました。今日はめっちゃゆるゆるな休日。高原の「杜の穂倉」まで買い物に行き、「アボンリー」で紅茶とケーキを堪能し、小谷豆腐に寄って、これから温泉。

 霧島は本当に素敵。皆さまも、素敵な日々をお過ごしください。
posted by kimiko at 18:49| Comment(0) | 日記

2018年05月14日

自分を生きるレッスンその395 親友として

 めちゃくちゃ忙しい一週間でした。昨日の朝は、熱発しそうな気配があり、ユタカ君も家で寝ていたら、と言ってくれましたが、何とかなりそうだったので、予定通り家を出て、予定通りの行動をして、霧島の自宅に帰り着いた頃には、いつも通り元気でしたわ。わが体力に感激!

 午前中に川端康成マラソン(ユタカ君リードで、「伊豆の踊子」を読みました)があり、6月に予定している「北原白秋うた散歩」の朗読の練習(もちだ先生がユタカ君に指導してくださいました)、午後は西郷隆盛関連の朗読会に参加して、母のところへ。母の日に母からもらった瓶ビールを、ユタカ君とふたりで2本飲み切って、気持ちよく目覚めた今日の朝。晴れの日の霧島の素晴らしいこと!感激しつつ、美味しい朝食を頂き、さあて、ブログを書くぞ、と張り切っています。

 先日、とても素晴らしい言葉に出会いました。アメリカでヨガを広めたヨガナンダが、師匠のユクステワの弟子になるときに、師匠に言われた言葉。

 「これから私はあなたの面倒を一生みる。どれだけの苦境に陥っても手助けをする。親友として、ベストを尽くすつもりだ。もし、私が苦境に陥ったとき、師匠のような振る舞いをせず堕落したとしても、親友として、あなたは私を一生面倒見ることはできるかな?」

 一瞬躊躇したヨガナンダに師匠からの厳しい叱責。

 「親友という、お互いの信頼があって、師匠と弟子は存在する。お前は、都合のよい関係をほしがっているだけだ」

 このエピソードは、メルマガ「星のしずく」の孫正人先生のコラム延長線上「遠慮せず親友になる」からの引用です。このメルマガにはいつも勇気づけられていて、孫正人先生は、ラジオ人生相談の加藤諦三先生や大原けいこ先生、マドモワゼル愛先生たちと同じくらい信頼できる人生相談の師匠です(あ、勝手に師匠と呼んでいます、笑)。

 孫正人先生は、このエピソードは、教師と生徒、師匠と弟子、親子関係、上司と部下といった関係についても考えさせられると言われます。本当にそうだなあ。

 このエピソードを、まずユタカ君に話しました。わたしとユタカ君は、夫婦というよりも「親友」という関係がふさわしいと思っていますから、彼はすぐに「おお」と言ってくれました。次に、月の舟で又吉君と麗華ちゃん、ちょうど一緒にご飯を食べていたデザイナーの村山さんにも話しました。3人とも「おお」と言ってくれました。「みんなのこと、親友だからね」とわたしも言います。ああ、いい関係だなあ。わたしの子どもほどの若い人たちと親友でいられる豊かさ。嬉しいなあ。

 3人の娘たち、お婿さんたち、4人の孫たちはもちろん大親友。母をはじめとする家族、親族、月の舟の会員さんも「親友」です。月の舟の講師の先生方も「親友」です。先日のたかのてるこ講演会でとってもお世話になった青年会館艸舎の「たましいの妹」聖子ちゃんはじめ、あの人、この人、いっぱい親友の顔が浮かびます。つきあいの長さでもない、その人の人格の深さでもない、ご縁としか言いようのない「親友」たち。ありがたいことです。

 昨日は母の日ということもあって、産まれたときからの親友である母のところにお花を抱えて行ってきました。相変わらず会話は擦れ違います。今回のファッションにはお褒めの言葉をいただきましたが、「このワンピース、90歳まで着れそうだね」と言われると、「いやいや、そんなに着ませんから」と突っ込みたくなりますが、あまりの論理の飛躍に、さすがに頭脳明晰でおなじみの(笑)みたけきみこの脳みそも機能停止して、反論の機会を失し、ただただ沈黙。

 母のところに出かけたのが午後4時半でしたから、夕食はいらないからね、と言っていたのですが、カレーが作ってありました。持って帰って、おいしくなかったら捨てて、と言われても、捨てるわけにはいかないので、じゃ、食べて帰る、ということにして、ユタカ君と母と3人で食べました。わたしがご飯をよそうと、「ええーーー、何でこんなに少ししか食べないの?」と大げさに言います。え?たくさん注いだつもりだけどな。それにまだ午後5時だし。母にしてみれば、中学生の食欲を、60歳すぎの還暦夫婦に求めているわけです。いつもそうなんです。驚くくらいに食べさせられる。怖ろしいほどに食べさせられる。もっとお食べ、という愛というよりも、「わたしの飯が食えねえのか」という響きに聞こえて、どんと疲れます。対等の関係というのが持ちにくい。わたしはカレーをこのように作る、と言おうものなら、ことごとく「それはダメ、間違っている」と言われそうなので、ただ黙々と母の愛情カレーを食べるのみ。

 ま、この生まれながらの親友は、このふつつかなわたしを痛い思いをして産んでくださり、これまで一食たりともずぼらなご飯を提供したことはなく、3食素晴らしい料理のオンパレード、家が散らかっていたこともなく、学校に持って行くものが滞ったこともなく、学費も払い続けてくださって、わたしの産んだ子どもたちは母に育てられたようなもので、経済観念もしっかりして、88歳にして認知症の気配もなく、全く完璧な母。なのに、このおばはんといると、どうにも落ち着かない、こちらの劣等感や罪悪感を刺激し、自分が悪者であるとか、ダメな人間であるとか、そういう立場に必ず追いやられる不思議なオーラを醸し出します。

 たとえば、カレーの件にしても、「きみこはカレーを貪り食った」とか、「母の日に花なんか持ってきたのは、遺産目当てじゃないか」とかの物語が親戚界隈で流れ出しそうな恐れがあるので、おおらかで豊かな愛情表現ができないわけです。つねに忖度と予測と期待外れの感覚ばかり。ふっと気を緩めると、召使いとしてこき使われそうな恐れがあるので、仕事が忙しいと言っては、距離を置いている親不孝のバカ娘。

 でも、今回、不肖の娘は決心しました。遺産目当て、と言われようと、ユタカ君に母の日なんてくだらない、と言われようと、母の日や誕生日や父の命日には花を持ってこの親友を訪ねよう、と。カレーの作り方について議論しよう、と。死ぬまで、この親友を見捨てない、と。理想の娘を演じるのは、もうやーめた!母が晩年をどう過ごすかは、母自身の問題だから、わたしはわたしの在り方をどう決めるか、ということのみ。結局は、自分がどう決心し、どう生きるかの問題ですからね。

 それにしても「親友」という響きはいいなあ。人間、好き嫌いはあります。嫌いな人を親友と呼ぶ必要はないし、他人の人生に責任を持つ必要もないけれど、愛と豊かさに満ちた人生を送りたければ、大好きな人と大好きなものに囲まれて暮らしたいもの。この親友という言葉に励まされた一週間。ありがとう、親友たち。

 さ、今週もまた忙しいよ。わたしの大好きな仕事をしよう。月の舟が愛と豊かさでいっぱいにします。深いたましいの在り様を、皆様と分かち合う場にします。愛と笑いと癒しが、わたしの人生のテーマ。わたしの理想は、孫たちの世代に、美しい人間の結び合いを残すこと。国家間の平和という大きな視野ではなく、夫婦、家族、恋人、友人、親子、師弟関係という日常の世界で、美しい信頼関係に満ちた人間関係を提示していきたい、と思います。たましいレベルの触れ合いをしていきたいなあ。そのツールが、源氏物語であったり、百人一首であったり、石牟礼道子、西郷隆盛、北原白秋、与謝野晶子であったり、美味しい料理であったり、心のこもったイベントであったり、たかのはるこさんがいっぱいされたハグであったり、旅であったり、するわけです。

 さ、皆様、月の舟にはもちろん学びにいらしてほしいわけですが、月の舟のあたたかな優しい雰囲気を味わいにいらしてくださいね。鹿児島のユートピアですよ。お待ちしています。

 明日5月15日(火)の午前11時から「石牟礼道子の世界」で、「苦海浄土」を読みます。午後2時からは「南洲翁遺訓」を読む。どちらも一時間の講座です。5月16日(水)は、午前がユタカ君の「万葉集」、午後がみたけきみこの「源氏物語」講座。いよいよ「絵合」の巻に入ります。

 自分の素直な気持ちを大事にして、自分らしく生きる。みんなで一緒にしあわせになりましょう。
posted by kimiko at 12:12| Comment(0) | 日記

2018年05月07日

自分を生きるレッスンその394 みんなパーフェクト

 霧島、午前11時。かなりの雨。室内にいても、外の雨音が聞こえるくらいに激しい雨。ということで、今日は月の舟は定休日ながら、明日からの講座のためにお掃除に出かけようと思っていたのですが、急きょ、やめにしました。明日の朝も雨のようですが、早くに出かけて、今日の分を取り戻す予定。

 で、今日は昨日の続きを書きます。

 わたしのまわりには、「わたしを認めて」「わたしって、こんなに素敵なのよ」「だから、特別に愛して」というメッセージを身体全体で発信している女性が急増しているように思います。それは老いも若きも同じ。自分の使命、自分のできることに集中だけではなく、他人からの承認をものすごく得たい、という情念でいっぱいの人に多く会います。一緒にいると、何だかこちらまで落ち着かなくなるような、そんなせわしない感情の襞から零れ落ちる未熟な泡。

 わたしは昨日、このように書きました。自分で書きながら、これはちょっと過激な言い方だったかなあ、と思うので、もう少し丁寧に書きます。

 わたしのまわりの素敵な女性たち。いっぱいいます。みんな、素敵。老いも若きもみんな女性たちはみんながんばってるなあ。でも、なんだか幸せそうじゃないなあ、と思うのはわたしだけ?よくわからないけれど、そこには「競争」というものが大きく作用しているような気がしてなりません。

 わたしの母の世代は、優等生であることを目指していたと思います。家事ができて、結婚して、子どもがいて、子どもたちも優秀で、性格が良くて、スタイルがよくて、美しくて、謙虚で、といった完璧な理想の人間像があって、それに合致しているかどうかで、その人の幸福度が図られる構図。理想の人間を創り上げるのに必死だった20世紀。

 わたしの母も、優等生で過ごし、美人で性格が良くて頭が良い、という典型のような人です。けれど、娘のわたしは、優等生ではあるけれど、母の理想とするお嬢様像からどんどん外れていくわ、外国になんか行くわ、結婚前に妊娠はするわ、年を取るにつれてデブになっていくわ、そのたびに母の苦言と言うか、暴言を聞き流してきましたけれど、もう言うことが何もないはずなのに、最近は「着ている服が気に入らない」とまず会うと言います。上から下までチェックして、合格、とか、不合格と言います。これって、わたしにとってはすごいストレスで、まず母が気に入りそうなものを着て行っても、わたしを見るだけで吐き気がする、くらいな反応をしますからね。「お願いだから、着替えてきて」ってことは平気で言います。実家に帰るのに、ファッションが母の気に入らないと、怒るわけです。その気に入る、気に入らない、に基準はありません。そのときの気分のようです。わたしが人前で話をするのを聴いていたら、必ず「話が長くて、鹿児島弁が変」と言います。わたしのマネージャーでもなく、師匠でもないのに、わたしに会うと「ダメだし」するのが自分の使命と思っている。で、わたしは永遠に「ある部分が足りないダメな子」を演じないといけない羽目になります。

 これって、病気だなあ。わたしをつつく前は優等生の兄がターゲットで、優等生という範疇から漏れている妹や弟には、この危害は加わっていない感じ(笑)。わたしに対しては、父が死んでからエスカレートしましたわ。母からすると、わたしをさらに理想の人間に育て上げるための苦言を母だからこそ言ってあげてる感じ。誰も頼んどらんわい(笑)88歳のおかんが、60歳の娘のファッションを指南してどうするんだい?88歳の母は今でもおしゃれで、先日も素敵なブローチをカーディガンの前結び用にしていたりして、気を配って偉いなあ、と思いますけど、それを褒めてあげる前に、わたしのファッションをこき下ろすので、褒めてあげる機会を失ってしまいます。それに、母の渋めの謙虚ファッションは、わたしの理想じゃないし、わたしはド派手な色が着たいんだ!

 ま、どんなに母が苦言を呈しようと、わたしはわたしらしく生きるのみ。良妻賢母になりたいと熱望したこともないし、わたしの理想像はわたしにしか適用されないから、娘たちに当てはめたこともないし、うちの娘たちはとっくの昔にわたしを越え、きちんと自立して、自分の生き方をして、とっても素敵な女性になっている。それは「わたしの娘だから」という思いもあるし、わたしの遺伝子とは関係なく、母でも娘でもない立場で本当に「えらいなあ、素敵だなあ」と思えます。

 母はわたしの生き方を認めると、自分の生き方が間違っていたことを認めることになりそうで怖いみたいな、そんな感じで、つねにわたしと張り合っています。わたしが一番よ、というオーラが凄くて、そこには競争に打ち勝ってきた人の誇りが充満し、負けを認めたくないがために相手をこき下ろす、という空気に人一倍敏感になってしまったわたしには、わたしと並んだだけで、「あ、わたしの勝ち」「あ、何、このおばさん、デブのくせして」というような素敵女性の心の声が聞こえてくるんですよね。ほんとかいな(笑)たぶん、娘たちに言わせると、「ママ、病気じゃないの?」「ママ、おばさんの嫉妬だよ、それ」という解釈になるのでしょうが(笑)。

 というより、他人との競争で勝った誇りとか、努力で成し遂げたことの前に、自分自身がこうして生きていることに満足して、感謝する、っていうしあわせ感がないのかな。とても古い競争の価値観で生きている感じ。見た目は斬新なファッションに身を包んで、とびっきりおしゃれでも、20世紀の古臭い価値観から一歩も出ていない。心からの自信にあふれていない、というか。ま、わたしもまだまだですけどね。

 わたしの場合、ユタカ君の存在は大きい。彼は、わたしのどこがよくて結婚したのか「わからない」と言います(笑)結婚しようかな、と思った時に、わたしが目の前にいただけのことだそうです。彼の人生には、競争とか嫉妬とか他人への攻撃ってものがないのです。略奪もなければ、他人を教育指導するなんて、もっとない。その分、俺は天才だ、という傲慢さはかなりありますけどね(笑)。

 何となく結婚したけれど、わたしは想像以上に良かったらしい(笑)。文学のセンスもいいし、料理も上手だし、子育てもがんばったし、働き者だし、何より、ユタカ君の知らない部分を引き出してくれたそうです。どんな部分かって?それは秘密(笑)

 「あなたは、人の心を引き出すっていうか、寄り添うって言うか、そういうの、とっても上手だよね」と言ってくれます。本当にやたらと褒めてくれる。わたしの気づかないところまでも褒めてくれます。わたしの行動をストップしたこともなければ、わたしの言動にダメだしすることはあまりないなあ。(ダメだしなんかしたら、母のダメ出しに敏感になっているわたしは、ぎゃんぎゃん噛みつきますからね。「え?どこがダメだっていうの?こんなに頑張っているのに」と昔はよく泣いた。最近は泣かない。)

 子育ても、「あなたはよくやったね。娘たちもあなたのことを尊敬していると思うよ」と言ってくれます。あれもこれも至らなかったなあ、と母としての不甲斐なさを嘆くと、ユタカ君は必ずそう言います。娘たちは、「いやいや、尊敬なんかしてませんから」と言うかもしれないのに(笑)。イベントや講座も、いつも褒めてくれます。「よかったよ」としか言わない。

 とにかく、ふたりで、あるいは仲間たちと力を合わせて、ひとつひとつの仕事を丁寧にやるのみ。それによって、世間をあっと言わせるとか、莫大なお金を儲ける、とかではなくて、淡々としあわせにそのときそのときをめちゃめちゃ最高にやっていくだけ。

 ひとつひとつが成功して、良かったなあ、という感慨に浸っていても、わたしは傲慢になっていないと思うし、褒められるってことは、しあわせの原点だなあ、と強く思います。もちろん、わたしもユタカ君を尊敬し、一日に100回くらい「ありがとう」と言っていますよ。

 母たちの時代は、戦争を挟んで、競争にさらされ、生きていくことにかなり努力して、努力したものが本当に生き残っていったのでしょう。母も、そんな激しい時代を生き残り、親兄弟の面倒も見て、自分の生き方に自信があるのでしょう。それが母の人生のものさしでは計り切れない娘が、へらへらとしあわせそうに生きているのが、とても不安なのでしょうね。そんなことをしていたら、いつかこけるよ、とばかりに。だから、わたしはそういう母を尊重しつつほっておきます。母には母の生き様があるわけですから。年老いた母に、あなたの生き方は間違っている、なんて絶対に言えませんし、言ってはいけない。母と同じ年代の方々にも同じです。わたしはわたしで力強く生きていきます。すでに、そうなっていますから。

 母は母で一所懸命に生きて、うるさいくらいに子どものことを思ってくれている、そのことに感謝しよう。うるさいな、と思うことがあったら、それはわたしの人生の、娘たちや若い人たちとのコミュニケーションで活かしていけばいい。わたしはわたしで、母の生き方を尊重し、晩年の歓びに少しでも寄与できたらいいなあ。世代間の価値観の違いとか、もうそれはどうしようもない深い溝で、だからこそ、深い尊敬でもって、相手を見ていかなければならないのかもしれません。

 若いのに、競争の匂いがする女性たちを見ると、もっと弱味を見せたらいいのに、とか、ああ、古い価値観でもものを考えているんだなあ、とか、いろいろ思いますけれど、ま、それも彼女たちの課題ですからね。余計なおせっかいはしないこったな。でも、新しい時代を少しだけ早く生きた者として、その分、時代の圧力を強く感じた者として、結構、わたしなりに血を吐くような思いをして、ようやくつかんだしあわせの境地について、やはり言っておきたいな、と思うことがあるわけで、おせっかいなわたしは、こうしてブログを書いているわけです。ユタカ君がわたしに無意識にしてくれたことを、わたしはみんなにしているのかな。しあわせの押し売りと思われたらしかたないけど、少しでも生きることが楽になってくださったら、うれしいなあ。

 他人の理想に合わせなくっていいんだよ。他人の期待に応えなくっていいんだよ。あなたは、いまですでにパーフェクト!その基盤があってこそ、あなたにしか咲かせられない花があるのです。デブだろうが、チビだろうが、やせだろうが、ノッポだろうが、怠け者だろうが、いいじゃない。でも、人にはあなたを助けられないよ。自分で立ちあがるしかないしね。他人の褒め言葉は、うちのユタカ君と同じで、「え、俺、そんなこと言った?」くらいのノリですからね。自分で自分を褒める。他人から少しでも褒められたら、天狗になっていい。わたしって、世界一、日本一、いえ、宇宙一、と。そこを基盤にする。唯一無二なわたしから出発する。

 他人には依存しても、期待しても、何も還ってこないよ。自分を愛そう。とにかく、愛しちゃおう。自分を愛して、人生を謳歌しようぜ。

 5月11日(金)午後7時からの月の舟企画のイベント、たかのはるこさんの講演会は、たかのはるこさんが世界中を旅しながら気づいたこと、新しい人の生き方って、どんな感じかをたっぷりと話してくださいます。いま、わたしがここで書いたこととかなり重なっています。ぜひ、ご一緒しましょう。参加費、講演会千円。交流会500円。鹿児島県立短大近くの鹿児島県青年会館艸舎で開催です。お問い合わせは、099−295−3816(月の舟)まで。お待ちしています。
posted by kimiko at 13:20| Comment(0) | 日記